野党五党は七日、「ナチス憲法」発言で麻生太郎副総理兼財務相の罷免を要求した。
発言の意図はともあれ、驚くべきは麻生氏が世界史の常識を知らなかった点だ。
同じことは安倍晋三首相にもいえる。
参院選の共同記者会見で「立憲主義」について質問され、珍回答を示した。
政府のトップとナンバー2の教養の水準に疑問符がつけられている。
海外からの日本への視線が気にかかる。 (出田阿生・上田千秋記者)
独は騒動の渦中で全権委任法成立
「ヒトラーは民主主義により、きちんとした議会で多数を握って出てきた」
「(ドイツの)ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法(全権委任法の誤り)に変わっていた。
誰も気が付かない間に変わった。
あの手口を学んだらどうか」
これが、お馴染みになった麻生発言だ。
先月二十九日に都内のセミナーで発言。
今月一日に「ナチスについて極めて否定的にとらえていることは私の発言全体から明らか」と述べた上、「誤解を招いた」と撤回した。
この発言について、京都大の池田浩士名誉教授(ファシズム研究)は「恥ずかしい間違い。根本的な部分で歴史認識に誤りがある」と語る。
では実態はどうなのか。
ナチスは一九三二年七月の総選挙で第一党となり、一九三三年一月に党首のヒトラーが首相に任命された。
第一党になったのは事実だが、ナチスの得票率は37%だった。
ヒトラーは首相就任後すぐに議会を解散し、三月に予定された次期総裁選挙で反対勢力を封じ込めようと画策。
二月に国会議事堂放火事件が起きると、早々に犯人を共産党員だと決めつけ、党員の大量逮捕を図った。
共産党員は潜伏せざるを得なくなり、同党は総選挙で議席を大幅に減らした。
さらにナチスは、当選した共産党員の議員資格も剥奪するなどし、全五百六十六議席中、過半数の二百八十八議席を得ることに成功した。
総選挙後、立法権や予算の編成・執行権などを国会から政府に移す「全権委任法案」を提出。
事実上の憲法改正法案だったため、「全国会議員の三分の二以上が出席し、三分の二以上の賛成」が必要だった。
そのままでは三分の二に足りないナチスは共産党員に加え、同じ反対勢力の社会民主党員も恣意的に逮捕するなどして採決の分母から除外。
無理矢理三分の二以上の賛成に持ち込んだ。
◇改憲願望で本音?
池田名誉教授は
「『いつの間にか・・・』なんて話ではなく、ドイツ全体が大変な騒動になった。
その渦中で全権委任法は成立した。
総選挙のナチスの得票率は43%に過ぎず、過半数が支持していない。
大きな摩擦があったことは容易に推察できる。
現在の日本にもナチスと似たような状況はある」と解説する。
昨年十二月の衆院選小選挙区の自民党の得票率は43%。
投票率は59・32%で、単純計算すれば、自民党支持の有権者は四分の一しかいない。
「憲法改正論議を始めようにも、簡単には進まないことは自民党もよくわかっている。
だから、『いつの間にか憲法が変わって』という発言は本音ではないのか」
「権力を縛る考えは王権時代の憲法」
安部首相も近代立憲主義の解釈について、参院選直前の七月三日に日本記者クラブが開催した党首討論会の席上、耳を疑うような発言をした。
自民党の憲法草案について、社民党の福島瑞穂党首(当時)が立憲主義との関係を質した際、姉首相は
「憲法というものは権力を縛るものだ。
確かにそういう側面がある。
しかし、いわばずべて権力を縛るものだという考え方としては、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であって、今、民主主義の国家であります。
民主主義の国家である以上、権力を縛るものであると同時に、国の姿についてそれは書き込んでいくもの」
(発言のまま)と答えた。
市民が権力に命令するのが近代憲法
これに対し、東京大の奥平康弘名誉教授(憲法学)は
「国家を管理するため、国民が最高法規として制定するのが憲法。
戦後日本の民主主義を成立させているのが現行憲法で、民主主義だから国家を縛る憲法はいらないという発言は本末転倒だ」
と批判する。
首都大学東京の宮台真司教授は(社会学)は
「近代憲法は、市民が統治権にこうしろ、するな、と命令するもの。
憲法という名前だけなら、聖徳太子の『十七条の憲法』もあるし、今の中国にも憲法はあるが、近代憲法ではないから立憲体制と呼ばない」
と指摘する。
話題が立憲体制下での自民党の改憲草案ゆえ、近代憲法としての出来が問題になる。
安部首相の回答が意味不明なのは近代憲法とは違う憲法の話をしているためだ。
ちなみに安部首相の説く「王権を縛る憲法」はあったのか。
王権の制限といえば、一二一五年にイングランド王国で制定されたマグナ・カルタ(大憲章)が有名だ。
だが、宮台教授は「大憲章は聖職者や貴族など高位身分(等族)間の牽制を目的とした等族議会が、等族内の相対的優越者にすぎない王による課税を牽制すべく設けた合意で、市民を欠くから憲法ではない」という。
王がいて、憲法も存在するといえば立憲君主制だ。
だが「君臨すれども統治せず」の立憲君主制は、王権(王の統治)ではなく、安部首相の「王権の縛る憲法」に当て嵌まらない。
結局、安部首相が何を念頭に話していたのか不明だが、宮台教授は「意図を推測しても無意味で、教養ある外国の政治家がどう受け取るかだけが問題だ」とみる。
奥平名誉教授は「大日本帝国憲法は見せかけだけの立憲主義だが、安部さんはあの時代に逆戻りし、国民の権利の保障ではなく、その制限に走りたいのでは」と危ぶむ。
日本の信頼失う
宮台教授は
「米国政府は政治家の発言履歴を徹底分析し、人格と力量を押し量る。
無教養な発言で、米国は『こんな政治家とそれを選ぶ日本国民は信用できない』と日本人を見下して介入を強め、日本の対米従属化が進むだろう」と懸念する。
政治評論家の森田実氏も、諸外国が日本政治の現状を「良識のない、異常な人たちが政府中枢を握り、それが放置されたままになっていると認識している」と話す。
「深刻なのはこうした無教養な放言が野放しされていることで、日本国民全体への信頼が損なわれかねないことだ」
森田氏は、こう警鐘を鳴らした。
「日本の戦後政治史でも、こうした異常な事態は初めてだ。
無知は道徳観念の低さにつながらず、手練手管に走る傾向を助長する。
非常識を放置しているうちに、国民がそれに慣れてしまうことが最も怖い」
※デスクメモ
余計なお世話だが、「保守」の人々が気の毒でならない。
保守の精髄は人類の経験知にある。
だから、歴史に無知な者は保守を名乗る資格がない。
ところが保守を自任し、政権党を率いるご両人がこれである。
新大久保の嫌韓デモしかり。現在の政治情勢は保守思想の信奉者にとっても正念場である。
(牧デスク)
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同じことは安倍晋三首相にもいえる。
参院選の共同記者会見で「立憲主義」について質問され、珍回答を示した。
政府のトップとナンバー2の教養の水準に疑問符がつけられている。
海外からの日本への視線が気にかかる。 (出田阿生・上田千秋記者)
独は騒動の渦中で全権委任法成立
「ヒトラーは民主主義により、きちんとした議会で多数を握って出てきた」
「(ドイツの)ワイマール憲法はいつの間にかナチス憲法(全権委任法の誤り)に変わっていた。
誰も気が付かない間に変わった。
あの手口を学んだらどうか」
これが、お馴染みになった麻生発言だ。
先月二十九日に都内のセミナーで発言。
今月一日に「ナチスについて極めて否定的にとらえていることは私の発言全体から明らか」と述べた上、「誤解を招いた」と撤回した。
この発言について、京都大の池田浩士名誉教授(ファシズム研究)は「恥ずかしい間違い。根本的な部分で歴史認識に誤りがある」と語る。
では実態はどうなのか。
ナチスは一九三二年七月の総選挙で第一党となり、一九三三年一月に党首のヒトラーが首相に任命された。
第一党になったのは事実だが、ナチスの得票率は37%だった。
ヒトラーは首相就任後すぐに議会を解散し、三月に予定された次期総裁選挙で反対勢力を封じ込めようと画策。
二月に国会議事堂放火事件が起きると、早々に犯人を共産党員だと決めつけ、党員の大量逮捕を図った。
共産党員は潜伏せざるを得なくなり、同党は総選挙で議席を大幅に減らした。
さらにナチスは、当選した共産党員の議員資格も剥奪するなどし、全五百六十六議席中、過半数の二百八十八議席を得ることに成功した。
総選挙後、立法権や予算の編成・執行権などを国会から政府に移す「全権委任法案」を提出。
事実上の憲法改正法案だったため、「全国会議員の三分の二以上が出席し、三分の二以上の賛成」が必要だった。
そのままでは三分の二に足りないナチスは共産党員に加え、同じ反対勢力の社会民主党員も恣意的に逮捕するなどして採決の分母から除外。
無理矢理三分の二以上の賛成に持ち込んだ。
◇改憲願望で本音?
池田名誉教授は
「『いつの間にか・・・』なんて話ではなく、ドイツ全体が大変な騒動になった。
その渦中で全権委任法は成立した。
総選挙のナチスの得票率は43%に過ぎず、過半数が支持していない。
大きな摩擦があったことは容易に推察できる。
現在の日本にもナチスと似たような状況はある」と解説する。
昨年十二月の衆院選小選挙区の自民党の得票率は43%。
投票率は59・32%で、単純計算すれば、自民党支持の有権者は四分の一しかいない。
「憲法改正論議を始めようにも、簡単には進まないことは自民党もよくわかっている。
だから、『いつの間にか憲法が変わって』という発言は本音ではないのか」
「権力を縛る考えは王権時代の憲法」
安部首相も近代立憲主義の解釈について、参院選直前の七月三日に日本記者クラブが開催した党首討論会の席上、耳を疑うような発言をした。
自民党の憲法草案について、社民党の福島瑞穂党首(当時)が立憲主義との関係を質した際、姉首相は
「憲法というものは権力を縛るものだ。
確かにそういう側面がある。
しかし、いわばずべて権力を縛るものだという考え方としては、王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方であって、今、民主主義の国家であります。
民主主義の国家である以上、権力を縛るものであると同時に、国の姿についてそれは書き込んでいくもの」
(発言のまま)と答えた。
市民が権力に命令するのが近代憲法
これに対し、東京大の奥平康弘名誉教授(憲法学)は
「国家を管理するため、国民が最高法規として制定するのが憲法。
戦後日本の民主主義を成立させているのが現行憲法で、民主主義だから国家を縛る憲法はいらないという発言は本末転倒だ」
と批判する。
首都大学東京の宮台真司教授は(社会学)は
「近代憲法は、市民が統治権にこうしろ、するな、と命令するもの。
憲法という名前だけなら、聖徳太子の『十七条の憲法』もあるし、今の中国にも憲法はあるが、近代憲法ではないから立憲体制と呼ばない」
と指摘する。
話題が立憲体制下での自民党の改憲草案ゆえ、近代憲法としての出来が問題になる。
安部首相の回答が意味不明なのは近代憲法とは違う憲法の話をしているためだ。
ちなみに安部首相の説く「王権を縛る憲法」はあったのか。
王権の制限といえば、一二一五年にイングランド王国で制定されたマグナ・カルタ(大憲章)が有名だ。
だが、宮台教授は「大憲章は聖職者や貴族など高位身分(等族)間の牽制を目的とした等族議会が、等族内の相対的優越者にすぎない王による課税を牽制すべく設けた合意で、市民を欠くから憲法ではない」という。
王がいて、憲法も存在するといえば立憲君主制だ。
だが「君臨すれども統治せず」の立憲君主制は、王権(王の統治)ではなく、安部首相の「王権の縛る憲法」に当て嵌まらない。
結局、安部首相が何を念頭に話していたのか不明だが、宮台教授は「意図を推測しても無意味で、教養ある外国の政治家がどう受け取るかだけが問題だ」とみる。
奥平名誉教授は「大日本帝国憲法は見せかけだけの立憲主義だが、安部さんはあの時代に逆戻りし、国民の権利の保障ではなく、その制限に走りたいのでは」と危ぶむ。
日本の信頼失う
宮台教授は
「米国政府は政治家の発言履歴を徹底分析し、人格と力量を押し量る。
無教養な発言で、米国は『こんな政治家とそれを選ぶ日本国民は信用できない』と日本人を見下して介入を強め、日本の対米従属化が進むだろう」と懸念する。
政治評論家の森田実氏も、諸外国が日本政治の現状を「良識のない、異常な人たちが政府中枢を握り、それが放置されたままになっていると認識している」と話す。
「深刻なのはこうした無教養な放言が野放しされていることで、日本国民全体への信頼が損なわれかねないことだ」
森田氏は、こう警鐘を鳴らした。
「日本の戦後政治史でも、こうした異常な事態は初めてだ。
無知は道徳観念の低さにつながらず、手練手管に走る傾向を助長する。
非常識を放置しているうちに、国民がそれに慣れてしまうことが最も怖い」
※デスクメモ
余計なお世話だが、「保守」の人々が気の毒でならない。
保守の精髄は人類の経験知にある。
だから、歴史に無知な者は保守を名乗る資格がない。
ところが保守を自任し、政権党を率いるご両人がこれである。
新大久保の嫌韓デモしかり。現在の政治情勢は保守思想の信奉者にとっても正念場である。
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