◎「いわゆる南京事件」を巡る一連の報道について
では、いわゆる南京事件についてです。
「『いわゆる南京事件』を巡る一連の報道について」ということで、外国との関係もありますので、慎重を期すというか正確を期すために、これは私自身が心を込めて書いたものです。
ちょっと長くなりましたけれど、はしょらんように書いてまいりました。従いまして、ちょっと長くなりますが、丁寧に、文章に従ってお話をさせていただきたいと思います。
平成24年2月27日(月曜日)、いわゆる南京事件を巡る一連の報道についてと。
名古屋市長 河村たかし。
去る2月20日(月曜日)に本市を訪問された中国共産党南京市委員会の皆さまの表敬に際して、「私の父親および戦友が終戦時、南京で大変お世話になり、その御礼および日中友好の証しとして栖霞(せいか)古寺に桜の木1,000本を送ったこと」、「南京の皆さまの温かいおもてなしにより、元気に早く日本へ帰れたので私が生まれたと亡き父が語っていたこと」、「南京の皆さまに感謝していること」、「日本は漢字を使っており、歴史的には中国が兄、日本が弟であるので、大きな心でお願いしたい」など、南京市への感謝を十分にお話しいたしました。
そこで、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」とも申し上げましたが、その経緯は以下のとおりです。
昨年8月、駐名古屋中国総領事に、南京事件について話し合いの機会を作っていただきたいと申し入れをしました。そして、表敬の10日ほど前の2月7日(火曜日)から9日(木曜日)まで、藤沢、山本両名古屋市会議員が南京市を訪ね、南京事件について話し合いをしたいと申し込んだところ、話し合うことは良いことだとの返事をいただいたとの報告を両議員からもらっていたことも、私が話し合いをしたいとの希望を率直に言うことができる土台となっていました。
表敬の場には通常、議員の立ち会いはほとんどないが、藤沢、山本両議員も南京市訪問時の感謝の意を述べたいとの意向で同席していた。南京市委員会の皆さまとは、記念品の交換を行うなど、終始友好的に話が進んでいました。
しかし、私の「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が、メディア、報道により「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」とのテロップになり、私の発言の趣旨が南京ではあたかも何もなかったと誤解され、同時に使節団との記念品の交換や歓談している場面が切り取られ、クローズアップされた。それにより、南京使節団の皆さまが、「なぜ反論しなかった」などと批判を浴びたと聞いています。
しかし、表敬は極めて友好的に進んでおり、誤解されたとすると、南京市使節団には責任はなく、遺憾であります。また、南京市民の皆さまにも、そのような誤解があったと理解をしていただきたいと思います。
いわゆる南京事件に関しては、平成22年1月に公表された執筆者個人の意見とされる日中歴史共同研究報告書においても、犠牲者数や虐殺(不法殺害)の定義などにおいて、両国の意見の相違があるとされております。
「いわゆる南京事件というのはなかったんじゃないか」と、私があえて「いわゆる」と南京事件を申し上げたのは、象徴的に30万人とされるような組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨で申し上げたものです。
また、日本では通常そのような意味で「いわゆる南京事件」は捉えられております。
しかし、友好使節団に面と向かって、30万人の大虐殺と申し上げることは、言葉がいかにも残虐でありますので、あえて「いわゆる南京事件」と申し上げたものです。
一部報道において、相互理解と友好親善を一層深めるために南京市と名古屋市で率直な意見交換、話し合いをしたいという私の真意が伝わらなかったとすれば、遺憾に思います。また、伝わらなかったことによりまして、民間の皆さまに影響が及ぶことがあってはならないし、南京の皆さまにもぜひそのようにお願いをしたいと思います。
南京市、名古屋市は、34年間友好都市関係を続けております。しかし、誠に残念ながら、交流の状態は以下の数字にとどまっています。
人口が約4倍の上海市に対し、南京市での在留邦人数は80分の1、名古屋市からの進出拠点数はわずかに2件で、上海の159件に対し80分の1にとどまっております。人口で修正しても、南京市への交流実績は、上海市への20分の1という、極めて少ない数字となっております。
何とか形式的な交流促進ではなく、もっと多くの日本人、名古屋市民が南京市に住んでもらえる、観光に行ってもらえるように、その障害となっている「ノドのトゲを抜こう」との気持ちで申し上げたところです。
亡き母が生前、(南京への桜の木千本の植樹のときだと思いますが、)「南京へは行きたくにゃあ」と言っていたのも、はっきり記憶しております。これも、「トゲを抜こう」と思った理由の1つとなっております。
中国四大古都の南京市、そして名古屋市の友好都市関係について、将来に向かってより発展するように努力していきたいと考えておりますので、両市の市民の皆さまにもご理解いただくようお願いしたいと思います。
30万人もの非武装の中国市民を日本軍が大虐殺したとされる「いわゆる南京事件」について、私は30万人もの非武装の中国市民を日本軍が大虐殺したことはないと思っており、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と申し上げたことは撤回しません。
しかしながら、いろいろな意見、立場があることは理解しており、率直な議論ができる日が1日でも早く来るよう、そして日中友好関係が本当に進むよう、心から願っております。率直な意見交換、話し合いをしたいと申し上げておるのが私の真意です。
以上です。
質疑応答
◎「いわゆる南京事件」を巡る一連の報道について(その1)
(記者)
今回の一連の事態は、今回のマスコミの一連の報道のためであるという解釈でよろしいですか。市長の認識としては、マスコミの報道が切り取られたものだったから、こういう事態になったという説明ですか。
(市長)
マスコミの報道さんだけとかどうかということではなくて、少なくとも、ここに書いてあるとおりでして、私の「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が、私の聞いたところでは、「南京ではあたかも何もなかったと誤解された」ということは事実のようです。
ないし、私が、普通の場合は、いろんなところでは「30万人大虐殺」とかそういう言葉を使うんですけれど、やっぱり友好使節団の方がおる面と向かって「30万人の大虐殺」と言わないかんですからね。だから、そのことは私が本当に配慮いたしまして、歴史的な用語ですよね、「南京事件」という、「いわゆる南京事件」という言葉を使ったということが、その理由は理由でしょうね。
しかし、何べんも繰り返しますけれど、私は「いわゆる」とわざと使っていまして、これは全部テレビ局が撮影しておりますし、ICレコーダーでも取られておりますので、ぜひ何かの機会に全部公開して、皆さんが分かるようになっていただくことを望んでおります。
「いわゆる」と言いますけれど、南京事件のときに、何回言ったか分かりませんけれど、全会話を「いわゆる」を付けたかどうかは記憶がありません。これは申し訳ないけれど。いろんな言葉中で、「いわゆる南京事件」ということで、象徴的に何回か言えば、普通の場合はそれで、大体1回言えばいいので。全部言ったかどうかは記憶がないので、それは僕はIC(レコーダ)で取っていなかったので、一度出していただくと、大変市民の皆さまも分かっていただけるのではないかと。
しかし、少なくとも、「いわゆる南京事件」と冒頭か何かのときに言った記憶はあります。「いわゆる」と必ず付けてですね。
(記者)
資料を読ませていただきましたが、「いわゆる30万人の大虐殺はなかったのではないか」と書いていますが、市長のご自身の意見はさっきお伺いしたのですが、南京の虐殺があったのかなかったのか、どのようにお考えですか。
(市長)
僕がここに書いてあるように、いわゆる30万人の非武装の中国の皆さんを日本軍が大虐殺したということはないと、私は思っております。
(記者)
犠牲者数に関してはどのようにお考えですか。
(市長)
それは非常に多くの意見等がありまして。それこそ、ぜひ率直に話し合おうではないかということを申し上げとるところです。そのときにいろいろお話ししたいと思います。
(記者)
今回の件に関しては、市長の発言に対して藤村官房長官が、「名古屋市と南京市の間で解決されるべきだ」と発言しておりまして、市長として、今後南京市側に対して何らかの誠意のある対応をしていく予定はあるのかどうか。あれば具体的な対応を教えてください。
(市長)
南京市とは、言っていいかどうか分かりませんけれど、役所の中では今でもアプローチしておるようでして。あと総領事館の皆さん、そして中国の大使館にも、私の真意ですね。それと、本当に親の関係で。
だから、思ったのは、うちのおやじが終戦のときに大変に世話になった、それだけの理由で「ない」と言っとるわけじゃないですよ、いわゆる30万人の大虐殺がね。それはそれでまた別に勉強しとるんですけれど、おやじが大変に南京の皆さんにお世話になって感謝しとると。「おみゃあが生まれたのも、南京の人に本当に優しくしてもらったおかげやぞ」と。
桜の木も1,000本送って、僕も行ってきました。そういうような気持ちをぜひ大使館の人にもお伝えしたいということで、今日指示しました。領事館経由ですけれど、大使館の皆さんに伝えてほしいと。「ぜひ出向きますから」ということで指示したところです。
(記者)
もう1つ聞かせてください。今回の発言は撤回しないと書いてありますが、ホストを尊重して反論しにくい立場のゲストに対して、今回極めて敏感な話題を市長の方から呼び掛けたわけなのですが、これは礼儀の国と誇る国の市長として不適切ではなかったのか、お考えをお伺いしたいと思います。もし不適切であるとお考えであれば、普通だとその発言を撤回するのがマナーだと思うのですが、いかがでしょうか。
(市長)
ちょうどここにも議員さんがおみえになりますけれど、10日ほど前に(議員が)南京市に行っとりまして、向こうから「話し合うことは良いことだ」との返事ももらっとって。議員さんもおみえになりましたし、そのときに。
それと、大方というかほとんどは、本当に、ぜひIC(レコーダ)を聞いていただくといいんだけれど、ほとんどは「ありがとう」ということで、「感謝しとるから言うんですよ」ということも話をしておりますし。
それから、歴史的に見れば、遣隋使や遣唐使の話もしたような気がしますけれど、そのことからすれば中国は兄貴の国で、私どもは弟の国だから、大きな心でお願いしたいと。そういうことをほとんど言っとるのであって、私からすれば大変遺憾であるということで。
終始、そのときにけんかになったかといったら、それはぜんぜん違っていまして、友好的に話が進んでおりましたので、非常に遺憾に思っとるということです。
ほんで、南京市の使節団の皆さんが、そういうことで、「何でそのときに反論しなかったんだ」と言われたようですけれど、それについては南京市の皆さまには、使節団の皆さまは責任がありませんので、その点については皆さんもぜひ、そういうふうでお願いしたいという気持ちです。
(記者)
その場でこの発言をされたのは適切だったということでしょうか。
(市長)
適切と断言できるか知りませんけれど、ずっと流れの中で、決して突然違和感がある発言ではなかったと思います。
(記者)
確認で、今後の動きというのは、大使館の方に行かれるとか、何か決まっていることはありますか。
(市長)
その返事がどうなるかですけれど、今国際交流課(の職員)に、こちらの総領事さんにアプローチを取って、総領事さんとできたらお会いするなり。今言ったとおりです、大使館にフォローしてくれと。それはちょっと今日ですから、返事がありませんので。
(記者)
アプローチを今日掛けたということですか。
(市長)
今日指示しまして。まだ行動は起きていないのかどうかですけれど。まだですか。
(当局:ええ。)
(市長)
まだしておりませんけれど、早速したいと思います。
(記者)
それで、回答待ちということですか。
(市長)
今日中にぜひ、大至急お願いしたいと思います。
(記者)
政府の見解で、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない。しかし、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難」という見解があるのですが、この辺は市長のお考えに沿うものなのでしょうか。
(市長)
僕の考えに沿うというか、それも非常に不明確な話で、「虐殺はあったのですか」という問いに対して、「虐殺」という言葉を使わずに、どう言いましたかね。「略奪」ともう1つどういう言葉でしたか。「虐殺」を使っていないんですよね、日本側は。
(記者)
「略奪行為」。
(市長)
と、もう1つ。
(記者)
「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などが」。
(市長)
「非戦闘員の殺害」と言っているので。虐殺があったとかという問いに対して「非戦闘員の殺害と略奪行為があったということは否定できない」と言っているので。
そもそも「虐殺」という言葉の定義が別にありませんので、その視野がどの程度、どういうものを意味しているかは、一義的ではないですよ。
(記者)
では、「虐殺は全くない」という立場ではない、ということですか。
(市長)
「虐殺」という言葉が、1人、2人でも対応によってそうなるのか、それとも一定の数をイメージせないかんのかについては、はっきりしないんです。それは、共同研究の中でも発表していますよね。だから、その質問にこうやって答えるというのは、なかなか苦しいんです。
(記者)
では、非戦闘員が亡くなられた事実はあるけれども、そこに軍が主体的に、組織的に関与したとまでは言えない、というお話ですか。
(市長)
いや、確実なのは、私どもでもいろいろ勉強というか、いろんな情報というか、やってきましたけれど、南京大虐殺、いわゆるね。南京事件と言ったら、それは30万人の非武装の中国の人を日本軍が大虐殺したということは間違いないですよ。そういう情報であるということは。それはないということが言えるので。
私も冒頭から、そのときにおいても、いわゆる戦闘行為ですね。言い方は戦闘行為でも戦争でもいいんです。そういうことがあったから、非常に残念なことはあったのかもしれないというか、あったのでしょう。それは否定していませんよ、そのころから。
(記者)
その残念なことというのは、非戦闘員が殺害されてしまったということですか。
(市長)
そこの対応はどうであったのか、そこはそれこそいろんな立場がありますよ。それはあったのでしょう、やっぱり。
だけど、それは幕府山事件だとかいろいろあるんですよ、戦闘がそれぞれ。放火事件があった幕府山事件についても、どういう対応であったかについては、そこで市民の方が亡くなっておりますけれど。揚子江を、南から船で送ろうと思ったところを、銃撃戦になってしまって、本当の中国の方が、市民が亡くなったということについても、いろんな、その対応についても議論があるところです。
(記者)
結局、非戦闘員が日本軍によって殺害されてしまったことを捉えて、市長はそれを虐殺とは捉えていないのですか。
(市長)
その定義は、そういうことを率直にお話ししようじゃないですか、ということではないですか。少なくともあるのは、「虐殺」といって単独の言葉でなかったんですよ、言えることは。「南京大虐殺」と。歴史的に教科書で言えば「南京事件」です、いわゆる。ずっと出てきたのは。
あまり言ってはいかんけれど、私も行きましたけれど、南京大虐殺記念館に。そこには、いろんな文章の中にありますけれど、そうではなくて、いわゆる「30万人」と明らかに書いてありました。「30万人」という数字が。書いてあるというより、ぱっと見るとそちらが目に入るというぐらいの。
そういうものを、「いわゆる南京事件」と言うということです。問題はそれなんですよね。それは僕はなかったと思います。そのことについては発言を撤回することはできません。
(記者)
市長の今回のこのコメントを読んでいると、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という言葉が独り歩きしてしまったという印象を持ったのですが、市長がかねがね、「南京大虐殺、いわゆる南京大虐殺の犠牲者の数に疑問がある」という主張は、前から議会でもおっしゃっていましたし、それはわれわれマスメディアも理解していたと思うのです。
ただ、昨年12月に南京の副市長が来たときは「日中間にいろんな問題がある」という程度にとどめていた言い方を、「南京事件はなかったのではないか」と具体的にあえて言及したことが、今回の問題ではないかと思うのです。メディアのいる前で、相手もいる前で。
やっぱりその言葉が、メディアということを市長がご理解していらっしゃって、あの中での発言だったということが僕は問題ではないかと思うのですが。言葉が独り歩きすることもあるという、それを踏まえてなぜあの発言をされたのかが私などは疑問に感じるのですが、それでもやっぱりあの発言に問題はなかったと。
(市長)
先ほど言いましたように、総領事に行ってからでしたかね、副市長さんがみえたのは。いつごろだったな。
(記者)
昨年の12月に副市長さんが。
(市長)
昨年の12月でしたかね。そのときもそうですけれど、ひとつ率直に議論をしようではないか、という流れで話をしていましたのでね。ほんで、ちょうど10日前でしたので、別に市会議員さんにあれするわけじゃないですけれど、報告もいただいて。
ちょうど南京の、だけどそれは違う人だったんですけれど、みえましたので、率直に。だけど、「いわゆる南京事件についてはなかったのではないか」ということは、私も今も思っていますよ。そのことは、なかったのではないかと。
だから、僕とすれば分かってもらいたいということで、わざわざ「いわゆる」という言葉を付けたんですけれどね。よく文章にも書くときもありますけれど、「いわゆる」は。そういう気持ちです。
そのときに、「本当に30万人南京大虐殺はなかったのではないでしょうか」というふうに言ったらよかったのかなと。反対にそういうふうに思いますわね。今でも。だけど、それは言えないですよ、やっぱり。当の日本軍が、大虐殺をしたとされている中国の方が来とる目の前で、「30万人大虐殺が」という言葉は、やっぱりあまりにも残酷で使わないと。
(記者)
そもそもあの場が、特に問題提起をする場ではなかったのではないかなとも思うのですが。
(市長)
いや、だけど、ほとんどは。
(記者)
もちろん友好ムードではありました。確かに。
(市長)
ほとんどは、ご承知のように、僕は本当に「ありがとう」ということを何べんも言って、多分喜んでいただいたのではないかと。個人的な体験というのは大きいですから。おやじが本当に「南京の皆さんのおかげで、おみゃあは生まれたんだぞ」と言っていましたので。そのことを素直に話をさせていただいて、喜んでいただいたんではないかというふうに。
その文脈の中で、それだけが論理的理由ではないんだけれど、「いわゆる南京事件というのはなかったのではないかと思います」というふうに言ったということで、それだけぽっと取り上げて、その議論だけしとったということは全く違いますので。
(記者)
私もそれは聞いていました。
(市長)
録音もありますし、本当にVTRもありますので。
(記者)
1つ確認させてください。言葉がいかにも残虐であるので、あえて「大虐殺」を使わなかったとのことですが、市長が、ご自身の見解はそもそも「虐殺」と認識していないから、「虐殺」という言葉を使わなかったのではないかと思われますが、いかがですか。
(市長)
それはありません。それは全く。南京のことについては、大虐殺ということは一つのセットのような言葉でありまして、そんなつもりではありませんよ。
(記者)
では、虐殺はあったとのご見解でよろしいでしょうか。
(市長)
あったかなかったかは、今の虐殺の定義がないものですから。そのことになってきますと、人数になっていくでしょう。少なけりゃええというものではないでしょう、中国の皆さんも。そういうものではないと思うんですよ。だから、そういうことをそれこそ率直に南京の皆さんと議論しましょう、ということで。
それはいろいろ言われるか分からんけれど、中国の使節団の方の目の前で「30万人大虐殺が」ということは、なかなかちょっと言わないものですよ、やっぱり。日本人が中国の市民を虐殺したかというところで、中国人の人が来ているときにね。
私は、商売をやってきたこともあるか分かりませんけれど、やっぱり直感的にそう思いましたね。だから、優しい言葉で。歴史的な用語ですけれど、「南京事件」という、そちらの方で。しかし、「いわゆる」ということを付けて。
何人ではありませんよ。「小さければええ」と僕は言っておりません。だけど、いろんな悲しい事態はあったと思いますけれど、「いわゆる」というのは、日本の方ならもうほとんどどういう意味か分かると思います。
それは、30万人にも及ぶ、いわゆる非武装の中国の皆さんを日本軍が虐殺した、殺害したということを「いわゆる南京事件」と。南京事件がそうなんですけれど、わざと「いわゆる」まで付けたんですね。そういう気持ちだったということです。
確かに今ちょっと記者さんも言われたけれど、ほとんどは「ありがとう」という話で終始しておりまして。
(記者)
市長ご自身は、虐殺と言えば、どれぐらいの犠牲者数があれば虐殺というように。
(市長)
これは少なくても虐殺はあり得るでしょう。対応によってぜんぜん違うじゃないですか。少なくてもね。リンチ殺人みたいなものがあれば、それは虐殺でしょう、やっぱり、1人であっても。と思いますよ。
だから、そういう問題ではないんですね。だからやっぱりフランクに議論するようにしないと。
僕がここに書いてありますように、本当に、南京に、うちのおふくろも「行きたくない」と言っていましたわ。名古屋で言うと「おそぎゃあ」と言いますけれど、「みんなに恨まれとるのではないか」ということで。
交流も30何年間続いておりますけれど、ここにありますように、非常にやっぱり、34年間続いておりますけれど、上海と比べて人口割にしても20分の1しか行っていないという状況を、じっとしとって。ええですよ、そりゃあ、南京との友好都市だと言っとるだけで。
だけどそれでは、多くの税金を使っていますし、せっかく当事者になったのだから、それを何とかここでトゲを抜きたいと。これを本当に。このまま封印しとってもうまくいかないのだ、ということを私は申し上げている。
だから、どっちがええか悪いかというよりも、まずいっぺん。今回もそうなんだけれど、こうなったことが、私が一番最初「30万人大虐殺」と言えばよかったか分からんけれど、言わなかったために、「いわゆる南京事件」と言ったためになのか分かりませんけれどね。
それがマスコミの方へ行ったのだと思いますけれど、これでこうなってしまって。この度ごとに民間の交流がストップするようなことは避けてもらいたい、本当に。だで、もっとフランクにこういうことが、意見が率直に言えるような時代を1日も早くつくっていきたいというのが、私の心からの願いです。
(記者)
歴史的な史実に関して、人数も含めてなのですが、日中共同研究がありますが、それは別として、市長は独自に、議論、討論会なりで史実を追究していきたい。そういう意向があるのですか。
(市長)
日中共同研究につきましては、あの中に文書がありますけれど、あれは個人的な見解ということになっております。別に各国の、代表して、それをまとめた見解にはなっていないんですわ。
ですから、それもありますし、やっぱり友好都市であれば、南京大虐殺記念館が現にある南京市であれば、当事者がもっとフランクに。フランクと言うと悪いけれど、率直に話し合うという姿勢は重要なんじゃないの、と思いますよ。
市民の皆さんも、あまり言うといかんけれど、こういう状況で、30万人日本軍が南京の皆さんを大虐殺したところへ本当に行けるかと。今行っておられる方がおられますので、大変に勇気のある方で理解のある方でありますので、あまりそうは言えんけれども。もっと普通の名古屋の人たち、日本の皆さんが、温かい気持ちで旅行に行ったり、向こうで住んだりできるようにということで、必要なんじゃないんですか。このトゲを抜くことは。
トゲを抜くということは、どっちの史実に当てはまるどうのこうのよりも、まずいっぺん話し合っていくということが、非常に僕は大事だと思いますよ。「話し合うこともいかん」と言われると困っちゃいますね。
(記者)
市長が話し合われるというのは、虐殺行為そのものがあったかなかったかのところから始める議論、ということでよろしいのですか。
(市長)
本当にずっとお話ししていくのだったら、例えば幕府山事件でどういうことがあったとか、誰々の日記にはこう書いてあったとか、いろいろあるわけです。挹江門(ゆうこうもん)というのがありますけれど、あそこで多くの死者が見つかっていますけれど、これは一体どういうことだったのだろうかとか、いろいろあるんです。そういうことを率直に話をしながらやっていくと。
(記者)
いろいろあるというのは分かるのですが、そういう行為そのものがあったかなかったかという、その前提の部分もなくて最初から議論をしたいという。
(市長)
議論というより、やっぱりあれじゃないですか。私は思うんだけれど、この私ども日本人が、少なくとも中国大陸で30万人の中国人の一般市民を虐殺したと言われとるわけですよ。それに対して、友好都市であるこの名古屋が、やっぱり「ちょっと待ってよ」と。「それは本当なの」ということを、素直に当事者の方に話し掛けるというのは必要なんじゃないの。
(記者)
人数のことというのは、そもそも幅はあるではないですか。だけど、その行為そのもの自体があったかなかったかというところから、市長は議論を始めたいとおっしゃるのですか。
(市長)
それはまず話し合う。どういう順番になるか分からないけれど、話し合いってそういうものじゃないですか、まず。私はそう思うんですよ、本当に。
30万人というと、あまり原爆と比較してはいけないけれど、大変なことですよ。日本人の犯したことは。これがもし本当だったら、大変なことですよ。
(記者)
市長がその30万人という数字にこだわっていらっしゃるのは分かるのですが、でも、今は、問題はそもそもそういった南京事件そのものがあったかなかったのか、という部分になってしまっているではないですか。そういう意味でいくと、先ほど質問にもありましたが、市長自体は、そういった行為はあったのかなかったのか、というのはどのようにお考えなのですか。
(市長)
だから僕は、少なくとも、何べんも言いますけれど、30万人の、よく言われるのはそれでじゃないですか。日本でいわゆる南京事件と言われればこれですよ、ぱっと出てくるのは。
現に南京大虐殺記念館にはそのようにばーっと表示してありますから。これは私も見てきましたけれど。だから、そういうような30万人にも及ぶ、いわゆる中国の皆さんの、一般の市民の皆さんを日本軍が大虐殺したということがあるかないかという問題なんです。
あと、それからにつきましては、いろんな説があります。いろんな説があります。戦闘行為ですので、いいことではないけれど、残念なことも多くあっただろうと思います。
(記者)
今回の中国側の反応というのは、市長はどう感じられていますか。交流停止という。
(市長)
僕は残念ですね。
(記者)
先ほどの話し合い、率直な意見交換という話をしていきたいというところからですと、ちょっと過剰反応かなというような。
(市長)
使節団の方に迷惑を掛けてはいかんのでね。これはあれですけれど、大変友好的だったんですよ、話が。だから、相当僕も面食らいました。
だけど、今自分で文章を書きながら思ったのは、やっぱり「30万人大虐殺」という表現を使わなかったために。さらっとしているじゃないですか、「いわゆる南京事件」というのは。歴史上の用語ですけれどね、世界史なんかで学ぶ場合に。
それだったから、一切、それこそ何もなかったというふうに、南京でですね。そういうふうに下手して取られたのではないかな、という感じがしましたけれど、僕は僕なりに相当気を使って。友好使節団だしね。
現に日本人が30万人中国の人を虐殺したと、いわゆるその当事者の子孫が来ているわけでしょう。その方に「30万人大虐殺が」という言葉を、やっぱり僕としては使いたくないということがあって、柔らかく、気を使って、「いわゆる南京事件」。だけどそれだとちょっとさらっと行っちゃうから、「いわゆる」というのを付けたということです。
(記者)
10日ぐらい前に市議の方たちが行って、向こうは「話し合いはいいですよ」と言ったのを、市長は公的な南京市の見解だと思われていたと。
(市長)
公的というより、聞いていただくといいんですけれど、(市議の)藤沢さんと山本さんにね。
(記者)
市長が南京市と、市議の方が持ち帰ってきた話を公のものと捉えたのかどうかというところを、今。
(市長)
公といって、市のいわゆる公文書といいますか、市が何か議決して、市の確定的な意思とは思っておりません。
(記者)
思っていない。
(市長)
ただ、そういうところまでは行っていないけれど、市会の、議長さんをやられた方だったな。友好協会の名誉会長さんですから、それと市議会の議長をやられた方だと言ったね。
かつて、そういう方ですので、一つの南京の、一つの公的に近い意見だと思っていました。
(記者)
それを踏まえた表敬だということを確認していたのか、いなかったのかというところはどうでしょうか。そういった意見を、その友好協会の名誉会長だとか、かつての議長がそうやって言ったことを踏まえての表敬だと思われていたかどうか。
(市長)
そう思っていました。
(記者)
踏まえての。
(市長)
ええ。
(記者)
だから話しても大丈夫だろうと。
(市長)
まあそういうことですよね。
(記者)
そこ、確認はちゃんとしたのですか。
(市長)
確認というか、10日前ですし、そう思っていました。
(記者)
そこを確認しなかったことは問題だと思いませんか。
(市長)
どうですかね。しかし、私はそのことについて議論をぶっ掛けたというものではありませんしね。そのことを。
私は(父)親が世話になったので、その体験から言うと、「いわゆる南京、30万人も殺したようなことはなかったと思いますよ」ということを言ったら、その文脈はいかんのですかね。
主眼は、おやじが世話になった、感謝のラーメンを作ったり、作り方を教えてもらったり、野菜をもらったりと言ったら、ものすごいにこにこ笑い顔があったでね。そういうことがあるので、その文脈の中で。栖霞(せいか)古寺という南京の近郊のお寺ですけれど。
(記者)
市長にとっては文脈なのですが、表敬団にとっては、友好協会の会長だとかが「話し合いはいいですよ」と言ったことは踏まえて来ていないので、前提が違うスタートではないですか。
(市長)
それは総領事さんにも去年の夏にお話しておりまして、突然ではないですから。私の信書も、僕の書いた紙も南京市長宛てに出していますからね。行かれたときに。
ですから、当然と言っては申し訳ないですけれど、一種の何か話し合いが行われるのかなというコンセンサスはあっただろうけれど、話し合いじゃないですよ。私は「来てもらってありがとう」といって、「感謝しておりますよ」ということの中で、そう申し上げたと。おやじの体験談の中で、そう言うのはいかんのですかね。
(記者)
市長の今日のお話ですと、30万人もの非武装の中国市民を日本軍が大虐殺したことはないと思っていて、30万人未満の虐殺があったかどうかについては、いろいろな説があるということですね。
それで、市長ご自身は、その犠牲者数について、現時点で確たる見解はお持ちではないのですか。
(市長)
いろんな勉強をしてきまして。しっかりは分かりませんね。最低限のところは分からないです。いろんな立場があって。
共同研究の中では、2万人から20万人となっていますけれど、あれも別に、先ほども言いましたように統一見解というわけではない、個人的な見解と断っていますので。そういうことを率直に話ができる時代が1日でも早く来るようにと。中国と日本の間にね。
(記者)
先ほどの質疑では、そういう率直に話し合うというときになったら申し上げたいとおっしゃっていましたが。
(市長)
その中で申し上げるというか、何人というふうにきちっと話はできないと思いますよ、多分。いろんな何人という説がたくさんありますけれど。
(記者)
でも、市長が「南京に行ってそういう話をしてもいい」とおっしゃっている立場からすると、市長の意見を何か言わないと。
(市長)
それは、典型的に今、幕府山事件とか、いろんな戦闘状況のところがあるわけですよ。「そこについてはこういうふうに言われていますよ」と。「僕はこう思いますよ」と。「こういうことがあったけれどこうなのではないですか」と、こういうような話ですね。
(記者)
つまり、犠牲者数については、市長としてはこうだというのはない状況で、この議論に臨もうという。
(市長)
いや、僕は僕なりに分かっとるというか、勉強はしています。
一番よくあるのは、セーフティーゾーン、安全区の中で、12月の初めに20万人であったのが1カ月後に25万人と人口が増えていると。セーフティーゾーンの中でね。これは何なんだという話ですわね。だけど、南京城郊外でもいろんな戦闘がありますから、それだけが全てではないけれどね。
(記者)
犠牲者数の話ばかりで恐縮ですが、多くともどれぐらいとか。今、これまで勉強されてきた中で。
(市長)
あまりそれは言わない方がいいんじゃないですか。ちょっと今、これは市長のあれになっていますので。
(記者)
もう1つ、誤解されたということを強調されていますが、誤解した主体は誰のことを指しておっしゃっているのですか。
(市長)
僕もよく分からないけれど、使節団が足止めを食らっているという話はびっくりしたんですわ、初め。その内容はちょっと分かりませんけれど。本国へ帰れずにね。それは聞いてびっくりしまして。「何で抗議しない。何でそんな握手か何かしてにこやかにしとるんだ」というお話が中国の方であったと聞きましたので、おかしいなという感じなんですね。
ほんで、夜ずっとネットを見ておりまして、某テレビ局のニュースがばっと出ましたので、それによりますと、今書いてあるようなテロップだったですね。正確に一応書きましたけれど、「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」と。
全部の番組を見ませんので、1つ見たのが、当日出たのがこれですね。「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」とのテロップになったと。これが、確かにこれはなかったのですから、全くなしというふうに取れるのか、僕も確証はないですけれど。
(記者)
つまり、「非武装の市民の殺りく行為が1人もなかったのだ」という主張だと誤解された、というように。
(市長)
そう思った、そのテレビを見られた方ですけど、見られたとすると、それは誤解ですね。それは私は前から、いわゆる戦闘行為に伴う残念なことはあったのだと。それは日本軍の当時の大将も謝罪していますからね。
(記者)
今日市長がこの場で解こうと思っている誤解というのは、どういう誤解なのかということを、あらためてご説明願いたいのですが。
(市長)
今一番中核は、端的に言えば、「1人もそういう悲しいことがなかった」ということを私は言ったわけではないということです。
それはかねがねそう言っていますから、皆さんご承知だと思います。市議会の本会議でも答弁していますし、それはかねがね言っていることです。
そのテレビ番組のやり方が悪かったと言っとるわけではないんですよ。これも一つの報道の仕方なんですね。「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」と。「南京大虐殺はなかったとする持論」というのは正しいかどうかちょっと分かりませんけれど。ちょっと微妙ですけれど。
(記者)
あの日、2月20日(月曜日)の表敬訪問のときに、市長はもともと当局が準備した文書か何かが手元にあったと思うのですが、「それもありますけれど」と切り出した上で、この話をされたと。
(市長)
この話より、それは主に、おやじが世話になって本当に。ぜひICレコーダーを出してほしいんですよ。「世話になって本当に感謝しています」という話をした方が喜んでくれるよといって、体験談だから。
ほんで、実に、桜の木1,000本を植えていますからね。僕も行きましたし、うちのおふくろも行きましたし、戦友も行きました、みんなで。そういう話をした方が絶対喜んでくれるからといって、ああいうものを読まずに話をして。
だけど、そこまで本当に優しくしてくれた南京の人たちが、8年前ですけれど、30万人もの、日本軍が自分たちを卑しめたというかあやめた人たちを、これほど優しくしてくれるか、ということを私は思っていますけれどと。だから、「いわゆる南京事件というのはなかったんじゃないかと思いますよ」と。そういう話です。
(記者)
あえて伺いますが、その「なかったんじゃないか」と市長がおっしゃるところまで含めて、その話をすることが喜んでもらえると思っていた?
(市長)
そこを、あの話のときに確定的に認識があったかどうかは分かりません。ざっと話をしとる中で。
よく話をしますから、私はそういうときに。
(記者)
あの使節団の場で南京事件の話に触れることは、非礼になるということは。
(市長)
思いませんでした。だから、それに気を使って、「30万人大虐殺」という言葉を使わなかったと。せめてものね。私は、そういう「大虐殺」という言葉を使わずに、親が大変世話になったので、お互いに喉の奥のトゲのようなものである、30万人中国の皆さんを大虐殺したようなことはなかったと思いますよと。だからフレンドリーにやりましょうや、という気持ちなんですけれどね。
(記者)
あと1つ、この間の政治塾の後の記者団に対するお話の中で、「市民の生活を守るのが市長の絶対的な責任である」ということをおっしゃっていましたが、あれはどういう意味でおっしゃっていたのですか。
(市長)
報道によりますとですけれど、私は直接まだ聞いておりませんけれど、観光客を名古屋に行かんようにするとか、その他のイベントを中止するとか、ああいう話は漏れ伝わってくるじゃないですか。
となると私も、市長というのは、いろんな理念もありますけれど、やっぱり市民の皆さんの生活を守るというのは、これは絶対的な責任ですからね。そういうことはやめていただきたいと。
冒頭、かかってきた電話にも「民間交流は妨げるものではない」ということは言っていただいとると、私は信じていますけれど。
(記者)
市長自身、この混乱した事態について責任は感じておられるのですか。
(市長)
責任というか。あまり適切なご質問ではないですけれど、残念だということで、早く誤解を解いて。
状況なんかを考えて、めちゃくちゃしょっちゅう討論をするものじゃありませんけれど、1日も早く、「何かこのことを言ったら、すぐこんなふうになっちゃう」という時代を打ち破っていって、本当の日中友好というか、南京と名古屋の交流が早く実のなるものにね。上海の20分の1では本当にいかんじゃないですか、ならんかしらんと思っとるということです。
(記者)
認識のずれがきっとあると思うのですが、例えば、誰かしらに対して謝罪とか陳謝するようなことというのは。
(市長)
今日は私、自分の気持ちを精いっぱい、本当に僕が書いた文章ですから。こういうことです。
河村たかし名古屋市長記者会見(2012-2-27)の内容(2)/名古屋市ホームページよりに続く
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では、いわゆる南京事件についてです。
「『いわゆる南京事件』を巡る一連の報道について」ということで、外国との関係もありますので、慎重を期すというか正確を期すために、これは私自身が心を込めて書いたものです。
ちょっと長くなりましたけれど、はしょらんように書いてまいりました。従いまして、ちょっと長くなりますが、丁寧に、文章に従ってお話をさせていただきたいと思います。
平成24年2月27日(月曜日)、いわゆる南京事件を巡る一連の報道についてと。
名古屋市長 河村たかし。
去る2月20日(月曜日)に本市を訪問された中国共産党南京市委員会の皆さまの表敬に際して、「私の父親および戦友が終戦時、南京で大変お世話になり、その御礼および日中友好の証しとして栖霞(せいか)古寺に桜の木1,000本を送ったこと」、「南京の皆さまの温かいおもてなしにより、元気に早く日本へ帰れたので私が生まれたと亡き父が語っていたこと」、「南京の皆さまに感謝していること」、「日本は漢字を使っており、歴史的には中国が兄、日本が弟であるので、大きな心でお願いしたい」など、南京市への感謝を十分にお話しいたしました。
そこで、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」とも申し上げましたが、その経緯は以下のとおりです。
昨年8月、駐名古屋中国総領事に、南京事件について話し合いの機会を作っていただきたいと申し入れをしました。そして、表敬の10日ほど前の2月7日(火曜日)から9日(木曜日)まで、藤沢、山本両名古屋市会議員が南京市を訪ね、南京事件について話し合いをしたいと申し込んだところ、話し合うことは良いことだとの返事をいただいたとの報告を両議員からもらっていたことも、私が話し合いをしたいとの希望を率直に言うことができる土台となっていました。
表敬の場には通常、議員の立ち会いはほとんどないが、藤沢、山本両議員も南京市訪問時の感謝の意を述べたいとの意向で同席していた。南京市委員会の皆さまとは、記念品の交換を行うなど、終始友好的に話が進んでいました。
しかし、私の「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が、メディア、報道により「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」とのテロップになり、私の発言の趣旨が南京ではあたかも何もなかったと誤解され、同時に使節団との記念品の交換や歓談している場面が切り取られ、クローズアップされた。それにより、南京使節団の皆さまが、「なぜ反論しなかった」などと批判を浴びたと聞いています。
しかし、表敬は極めて友好的に進んでおり、誤解されたとすると、南京市使節団には責任はなく、遺憾であります。また、南京市民の皆さまにも、そのような誤解があったと理解をしていただきたいと思います。
いわゆる南京事件に関しては、平成22年1月に公表された執筆者個人の意見とされる日中歴史共同研究報告書においても、犠牲者数や虐殺(不法殺害)の定義などにおいて、両国の意見の相違があるとされております。
「いわゆる南京事件というのはなかったんじゃないか」と、私があえて「いわゆる」と南京事件を申し上げたのは、象徴的に30万人とされるような組織的な大虐殺はなかったのではないかとの趣旨で申し上げたものです。
また、日本では通常そのような意味で「いわゆる南京事件」は捉えられております。
しかし、友好使節団に面と向かって、30万人の大虐殺と申し上げることは、言葉がいかにも残虐でありますので、あえて「いわゆる南京事件」と申し上げたものです。
一部報道において、相互理解と友好親善を一層深めるために南京市と名古屋市で率直な意見交換、話し合いをしたいという私の真意が伝わらなかったとすれば、遺憾に思います。また、伝わらなかったことによりまして、民間の皆さまに影響が及ぶことがあってはならないし、南京の皆さまにもぜひそのようにお願いをしたいと思います。
南京市、名古屋市は、34年間友好都市関係を続けております。しかし、誠に残念ながら、交流の状態は以下の数字にとどまっています。
人口が約4倍の上海市に対し、南京市での在留邦人数は80分の1、名古屋市からの進出拠点数はわずかに2件で、上海の159件に対し80分の1にとどまっております。人口で修正しても、南京市への交流実績は、上海市への20分の1という、極めて少ない数字となっております。
何とか形式的な交流促進ではなく、もっと多くの日本人、名古屋市民が南京市に住んでもらえる、観光に行ってもらえるように、その障害となっている「ノドのトゲを抜こう」との気持ちで申し上げたところです。
亡き母が生前、(南京への桜の木千本の植樹のときだと思いますが、)「南京へは行きたくにゃあ」と言っていたのも、はっきり記憶しております。これも、「トゲを抜こう」と思った理由の1つとなっております。
中国四大古都の南京市、そして名古屋市の友好都市関係について、将来に向かってより発展するように努力していきたいと考えておりますので、両市の市民の皆さまにもご理解いただくようお願いしたいと思います。
30万人もの非武装の中国市民を日本軍が大虐殺したとされる「いわゆる南京事件」について、私は30万人もの非武装の中国市民を日本軍が大虐殺したことはないと思っており、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と申し上げたことは撤回しません。
しかしながら、いろいろな意見、立場があることは理解しており、率直な議論ができる日が1日でも早く来るよう、そして日中友好関係が本当に進むよう、心から願っております。率直な意見交換、話し合いをしたいと申し上げておるのが私の真意です。
以上です。
質疑応答
◎「いわゆる南京事件」を巡る一連の報道について(その1)
(記者)
今回の一連の事態は、今回のマスコミの一連の報道のためであるという解釈でよろしいですか。市長の認識としては、マスコミの報道が切り取られたものだったから、こういう事態になったという説明ですか。
(市長)
マスコミの報道さんだけとかどうかということではなくて、少なくとも、ここに書いてあるとおりでして、私の「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が、私の聞いたところでは、「南京ではあたかも何もなかったと誤解された」ということは事実のようです。
ないし、私が、普通の場合は、いろんなところでは「30万人大虐殺」とかそういう言葉を使うんですけれど、やっぱり友好使節団の方がおる面と向かって「30万人の大虐殺」と言わないかんですからね。だから、そのことは私が本当に配慮いたしまして、歴史的な用語ですよね、「南京事件」という、「いわゆる南京事件」という言葉を使ったということが、その理由は理由でしょうね。
しかし、何べんも繰り返しますけれど、私は「いわゆる」とわざと使っていまして、これは全部テレビ局が撮影しておりますし、ICレコーダーでも取られておりますので、ぜひ何かの機会に全部公開して、皆さんが分かるようになっていただくことを望んでおります。
「いわゆる」と言いますけれど、南京事件のときに、何回言ったか分かりませんけれど、全会話を「いわゆる」を付けたかどうかは記憶がありません。これは申し訳ないけれど。いろんな言葉中で、「いわゆる南京事件」ということで、象徴的に何回か言えば、普通の場合はそれで、大体1回言えばいいので。全部言ったかどうかは記憶がないので、それは僕はIC(レコーダ)で取っていなかったので、一度出していただくと、大変市民の皆さまも分かっていただけるのではないかと。
しかし、少なくとも、「いわゆる南京事件」と冒頭か何かのときに言った記憶はあります。「いわゆる」と必ず付けてですね。
(記者)
資料を読ませていただきましたが、「いわゆる30万人の大虐殺はなかったのではないか」と書いていますが、市長のご自身の意見はさっきお伺いしたのですが、南京の虐殺があったのかなかったのか、どのようにお考えですか。
(市長)
僕がここに書いてあるように、いわゆる30万人の非武装の中国の皆さんを日本軍が大虐殺したということはないと、私は思っております。
(記者)
犠牲者数に関してはどのようにお考えですか。
(市長)
それは非常に多くの意見等がありまして。それこそ、ぜひ率直に話し合おうではないかということを申し上げとるところです。そのときにいろいろお話ししたいと思います。
(記者)
今回の件に関しては、市長の発言に対して藤村官房長官が、「名古屋市と南京市の間で解決されるべきだ」と発言しておりまして、市長として、今後南京市側に対して何らかの誠意のある対応をしていく予定はあるのかどうか。あれば具体的な対応を教えてください。
(市長)
南京市とは、言っていいかどうか分かりませんけれど、役所の中では今でもアプローチしておるようでして。あと総領事館の皆さん、そして中国の大使館にも、私の真意ですね。それと、本当に親の関係で。
だから、思ったのは、うちのおやじが終戦のときに大変に世話になった、それだけの理由で「ない」と言っとるわけじゃないですよ、いわゆる30万人の大虐殺がね。それはそれでまた別に勉強しとるんですけれど、おやじが大変に南京の皆さんにお世話になって感謝しとると。「おみゃあが生まれたのも、南京の人に本当に優しくしてもらったおかげやぞ」と。
桜の木も1,000本送って、僕も行ってきました。そういうような気持ちをぜひ大使館の人にもお伝えしたいということで、今日指示しました。領事館経由ですけれど、大使館の皆さんに伝えてほしいと。「ぜひ出向きますから」ということで指示したところです。
(記者)
もう1つ聞かせてください。今回の発言は撤回しないと書いてありますが、ホストを尊重して反論しにくい立場のゲストに対して、今回極めて敏感な話題を市長の方から呼び掛けたわけなのですが、これは礼儀の国と誇る国の市長として不適切ではなかったのか、お考えをお伺いしたいと思います。もし不適切であるとお考えであれば、普通だとその発言を撤回するのがマナーだと思うのですが、いかがでしょうか。
(市長)
ちょうどここにも議員さんがおみえになりますけれど、10日ほど前に(議員が)南京市に行っとりまして、向こうから「話し合うことは良いことだ」との返事ももらっとって。議員さんもおみえになりましたし、そのときに。
それと、大方というかほとんどは、本当に、ぜひIC(レコーダ)を聞いていただくといいんだけれど、ほとんどは「ありがとう」ということで、「感謝しとるから言うんですよ」ということも話をしておりますし。
それから、歴史的に見れば、遣隋使や遣唐使の話もしたような気がしますけれど、そのことからすれば中国は兄貴の国で、私どもは弟の国だから、大きな心でお願いしたいと。そういうことをほとんど言っとるのであって、私からすれば大変遺憾であるということで。
終始、そのときにけんかになったかといったら、それはぜんぜん違っていまして、友好的に話が進んでおりましたので、非常に遺憾に思っとるということです。
ほんで、南京市の使節団の皆さんが、そういうことで、「何でそのときに反論しなかったんだ」と言われたようですけれど、それについては南京市の皆さまには、使節団の皆さまは責任がありませんので、その点については皆さんもぜひ、そういうふうでお願いしたいという気持ちです。
(記者)
その場でこの発言をされたのは適切だったということでしょうか。
(市長)
適切と断言できるか知りませんけれど、ずっと流れの中で、決して突然違和感がある発言ではなかったと思います。
(記者)
確認で、今後の動きというのは、大使館の方に行かれるとか、何か決まっていることはありますか。
(市長)
その返事がどうなるかですけれど、今国際交流課(の職員)に、こちらの総領事さんにアプローチを取って、総領事さんとできたらお会いするなり。今言ったとおりです、大使館にフォローしてくれと。それはちょっと今日ですから、返事がありませんので。
(記者)
アプローチを今日掛けたということですか。
(市長)
今日指示しまして。まだ行動は起きていないのかどうかですけれど。まだですか。
(当局:ええ。)
(市長)
まだしておりませんけれど、早速したいと思います。
(記者)
それで、回答待ちということですか。
(市長)
今日中にぜひ、大至急お願いしたいと思います。
(記者)
政府の見解で、「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などがあったことは否定できない。しかし、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難」という見解があるのですが、この辺は市長のお考えに沿うものなのでしょうか。
(市長)
僕の考えに沿うというか、それも非常に不明確な話で、「虐殺はあったのですか」という問いに対して、「虐殺」という言葉を使わずに、どう言いましたかね。「略奪」ともう1つどういう言葉でしたか。「虐殺」を使っていないんですよね、日本側は。
(記者)
「略奪行為」。
(市長)
と、もう1つ。
(記者)
「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為などが」。
(市長)
「非戦闘員の殺害」と言っているので。虐殺があったとかという問いに対して「非戦闘員の殺害と略奪行為があったということは否定できない」と言っているので。
そもそも「虐殺」という言葉の定義が別にありませんので、その視野がどの程度、どういうものを意味しているかは、一義的ではないですよ。
(記者)
では、「虐殺は全くない」という立場ではない、ということですか。
(市長)
「虐殺」という言葉が、1人、2人でも対応によってそうなるのか、それとも一定の数をイメージせないかんのかについては、はっきりしないんです。それは、共同研究の中でも発表していますよね。だから、その質問にこうやって答えるというのは、なかなか苦しいんです。
(記者)
では、非戦闘員が亡くなられた事実はあるけれども、そこに軍が主体的に、組織的に関与したとまでは言えない、というお話ですか。
(市長)
いや、確実なのは、私どもでもいろいろ勉強というか、いろんな情報というか、やってきましたけれど、南京大虐殺、いわゆるね。南京事件と言ったら、それは30万人の非武装の中国の人を日本軍が大虐殺したということは間違いないですよ。そういう情報であるということは。それはないということが言えるので。
私も冒頭から、そのときにおいても、いわゆる戦闘行為ですね。言い方は戦闘行為でも戦争でもいいんです。そういうことがあったから、非常に残念なことはあったのかもしれないというか、あったのでしょう。それは否定していませんよ、そのころから。
(記者)
その残念なことというのは、非戦闘員が殺害されてしまったということですか。
(市長)
そこの対応はどうであったのか、そこはそれこそいろんな立場がありますよ。それはあったのでしょう、やっぱり。
だけど、それは幕府山事件だとかいろいろあるんですよ、戦闘がそれぞれ。放火事件があった幕府山事件についても、どういう対応であったかについては、そこで市民の方が亡くなっておりますけれど。揚子江を、南から船で送ろうと思ったところを、銃撃戦になってしまって、本当の中国の方が、市民が亡くなったということについても、いろんな、その対応についても議論があるところです。
(記者)
結局、非戦闘員が日本軍によって殺害されてしまったことを捉えて、市長はそれを虐殺とは捉えていないのですか。
(市長)
その定義は、そういうことを率直にお話ししようじゃないですか、ということではないですか。少なくともあるのは、「虐殺」といって単独の言葉でなかったんですよ、言えることは。「南京大虐殺」と。歴史的に教科書で言えば「南京事件」です、いわゆる。ずっと出てきたのは。
あまり言ってはいかんけれど、私も行きましたけれど、南京大虐殺記念館に。そこには、いろんな文章の中にありますけれど、そうではなくて、いわゆる「30万人」と明らかに書いてありました。「30万人」という数字が。書いてあるというより、ぱっと見るとそちらが目に入るというぐらいの。
そういうものを、「いわゆる南京事件」と言うということです。問題はそれなんですよね。それは僕はなかったと思います。そのことについては発言を撤回することはできません。
(記者)
市長の今回のこのコメントを読んでいると、「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という言葉が独り歩きしてしまったという印象を持ったのですが、市長がかねがね、「南京大虐殺、いわゆる南京大虐殺の犠牲者の数に疑問がある」という主張は、前から議会でもおっしゃっていましたし、それはわれわれマスメディアも理解していたと思うのです。
ただ、昨年12月に南京の副市長が来たときは「日中間にいろんな問題がある」という程度にとどめていた言い方を、「南京事件はなかったのではないか」と具体的にあえて言及したことが、今回の問題ではないかと思うのです。メディアのいる前で、相手もいる前で。
やっぱりその言葉が、メディアということを市長がご理解していらっしゃって、あの中での発言だったということが僕は問題ではないかと思うのですが。言葉が独り歩きすることもあるという、それを踏まえてなぜあの発言をされたのかが私などは疑問に感じるのですが、それでもやっぱりあの発言に問題はなかったと。
(市長)
先ほど言いましたように、総領事に行ってからでしたかね、副市長さんがみえたのは。いつごろだったな。
(記者)
昨年の12月に副市長さんが。
(市長)
昨年の12月でしたかね。そのときもそうですけれど、ひとつ率直に議論をしようではないか、という流れで話をしていましたのでね。ほんで、ちょうど10日前でしたので、別に市会議員さんにあれするわけじゃないですけれど、報告もいただいて。
ちょうど南京の、だけどそれは違う人だったんですけれど、みえましたので、率直に。だけど、「いわゆる南京事件についてはなかったのではないか」ということは、私も今も思っていますよ。そのことは、なかったのではないかと。
だから、僕とすれば分かってもらいたいということで、わざわざ「いわゆる」という言葉を付けたんですけれどね。よく文章にも書くときもありますけれど、「いわゆる」は。そういう気持ちです。
そのときに、「本当に30万人南京大虐殺はなかったのではないでしょうか」というふうに言ったらよかったのかなと。反対にそういうふうに思いますわね。今でも。だけど、それは言えないですよ、やっぱり。当の日本軍が、大虐殺をしたとされている中国の方が来とる目の前で、「30万人大虐殺が」という言葉は、やっぱりあまりにも残酷で使わないと。
(記者)
そもそもあの場が、特に問題提起をする場ではなかったのではないかなとも思うのですが。
(市長)
いや、だけど、ほとんどは。
(記者)
もちろん友好ムードではありました。確かに。
(市長)
ほとんどは、ご承知のように、僕は本当に「ありがとう」ということを何べんも言って、多分喜んでいただいたのではないかと。個人的な体験というのは大きいですから。おやじが本当に「南京の皆さんのおかげで、おみゃあは生まれたんだぞ」と言っていましたので。そのことを素直に話をさせていただいて、喜んでいただいたんではないかというふうに。
その文脈の中で、それだけが論理的理由ではないんだけれど、「いわゆる南京事件というのはなかったのではないかと思います」というふうに言ったということで、それだけぽっと取り上げて、その議論だけしとったということは全く違いますので。
(記者)
私もそれは聞いていました。
(市長)
録音もありますし、本当にVTRもありますので。
(記者)
1つ確認させてください。言葉がいかにも残虐であるので、あえて「大虐殺」を使わなかったとのことですが、市長が、ご自身の見解はそもそも「虐殺」と認識していないから、「虐殺」という言葉を使わなかったのではないかと思われますが、いかがですか。
(市長)
それはありません。それは全く。南京のことについては、大虐殺ということは一つのセットのような言葉でありまして、そんなつもりではありませんよ。
(記者)
では、虐殺はあったとのご見解でよろしいでしょうか。
(市長)
あったかなかったかは、今の虐殺の定義がないものですから。そのことになってきますと、人数になっていくでしょう。少なけりゃええというものではないでしょう、中国の皆さんも。そういうものではないと思うんですよ。だから、そういうことをそれこそ率直に南京の皆さんと議論しましょう、ということで。
それはいろいろ言われるか分からんけれど、中国の使節団の方の目の前で「30万人大虐殺が」ということは、なかなかちょっと言わないものですよ、やっぱり。日本人が中国の市民を虐殺したかというところで、中国人の人が来ているときにね。
私は、商売をやってきたこともあるか分かりませんけれど、やっぱり直感的にそう思いましたね。だから、優しい言葉で。歴史的な用語ですけれど、「南京事件」という、そちらの方で。しかし、「いわゆる」ということを付けて。
何人ではありませんよ。「小さければええ」と僕は言っておりません。だけど、いろんな悲しい事態はあったと思いますけれど、「いわゆる」というのは、日本の方ならもうほとんどどういう意味か分かると思います。
それは、30万人にも及ぶ、いわゆる非武装の中国の皆さんを日本軍が虐殺した、殺害したということを「いわゆる南京事件」と。南京事件がそうなんですけれど、わざと「いわゆる」まで付けたんですね。そういう気持ちだったということです。
確かに今ちょっと記者さんも言われたけれど、ほとんどは「ありがとう」という話で終始しておりまして。
(記者)
市長ご自身は、虐殺と言えば、どれぐらいの犠牲者数があれば虐殺というように。
(市長)
これは少なくても虐殺はあり得るでしょう。対応によってぜんぜん違うじゃないですか。少なくてもね。リンチ殺人みたいなものがあれば、それは虐殺でしょう、やっぱり、1人であっても。と思いますよ。
だから、そういう問題ではないんですね。だからやっぱりフランクに議論するようにしないと。
僕がここに書いてありますように、本当に、南京に、うちのおふくろも「行きたくない」と言っていましたわ。名古屋で言うと「おそぎゃあ」と言いますけれど、「みんなに恨まれとるのではないか」ということで。
交流も30何年間続いておりますけれど、ここにありますように、非常にやっぱり、34年間続いておりますけれど、上海と比べて人口割にしても20分の1しか行っていないという状況を、じっとしとって。ええですよ、そりゃあ、南京との友好都市だと言っとるだけで。
だけどそれでは、多くの税金を使っていますし、せっかく当事者になったのだから、それを何とかここでトゲを抜きたいと。これを本当に。このまま封印しとってもうまくいかないのだ、ということを私は申し上げている。
だから、どっちがええか悪いかというよりも、まずいっぺん。今回もそうなんだけれど、こうなったことが、私が一番最初「30万人大虐殺」と言えばよかったか分からんけれど、言わなかったために、「いわゆる南京事件」と言ったためになのか分かりませんけれどね。
それがマスコミの方へ行ったのだと思いますけれど、これでこうなってしまって。この度ごとに民間の交流がストップするようなことは避けてもらいたい、本当に。だで、もっとフランクにこういうことが、意見が率直に言えるような時代を1日も早くつくっていきたいというのが、私の心からの願いです。
(記者)
歴史的な史実に関して、人数も含めてなのですが、日中共同研究がありますが、それは別として、市長は独自に、議論、討論会なりで史実を追究していきたい。そういう意向があるのですか。
(市長)
日中共同研究につきましては、あの中に文書がありますけれど、あれは個人的な見解ということになっております。別に各国の、代表して、それをまとめた見解にはなっていないんですわ。
ですから、それもありますし、やっぱり友好都市であれば、南京大虐殺記念館が現にある南京市であれば、当事者がもっとフランクに。フランクと言うと悪いけれど、率直に話し合うという姿勢は重要なんじゃないの、と思いますよ。
市民の皆さんも、あまり言うといかんけれど、こういう状況で、30万人日本軍が南京の皆さんを大虐殺したところへ本当に行けるかと。今行っておられる方がおられますので、大変に勇気のある方で理解のある方でありますので、あまりそうは言えんけれども。もっと普通の名古屋の人たち、日本の皆さんが、温かい気持ちで旅行に行ったり、向こうで住んだりできるようにということで、必要なんじゃないんですか。このトゲを抜くことは。
トゲを抜くということは、どっちの史実に当てはまるどうのこうのよりも、まずいっぺん話し合っていくということが、非常に僕は大事だと思いますよ。「話し合うこともいかん」と言われると困っちゃいますね。
(記者)
市長が話し合われるというのは、虐殺行為そのものがあったかなかったかのところから始める議論、ということでよろしいのですか。
(市長)
本当にずっとお話ししていくのだったら、例えば幕府山事件でどういうことがあったとか、誰々の日記にはこう書いてあったとか、いろいろあるわけです。挹江門(ゆうこうもん)というのがありますけれど、あそこで多くの死者が見つかっていますけれど、これは一体どういうことだったのだろうかとか、いろいろあるんです。そういうことを率直に話をしながらやっていくと。
(記者)
いろいろあるというのは分かるのですが、そういう行為そのものがあったかなかったかという、その前提の部分もなくて最初から議論をしたいという。
(市長)
議論というより、やっぱりあれじゃないですか。私は思うんだけれど、この私ども日本人が、少なくとも中国大陸で30万人の中国人の一般市民を虐殺したと言われとるわけですよ。それに対して、友好都市であるこの名古屋が、やっぱり「ちょっと待ってよ」と。「それは本当なの」ということを、素直に当事者の方に話し掛けるというのは必要なんじゃないの。
(記者)
人数のことというのは、そもそも幅はあるではないですか。だけど、その行為そのもの自体があったかなかったかというところから、市長は議論を始めたいとおっしゃるのですか。
(市長)
それはまず話し合う。どういう順番になるか分からないけれど、話し合いってそういうものじゃないですか、まず。私はそう思うんですよ、本当に。
30万人というと、あまり原爆と比較してはいけないけれど、大変なことですよ。日本人の犯したことは。これがもし本当だったら、大変なことですよ。
(記者)
市長がその30万人という数字にこだわっていらっしゃるのは分かるのですが、でも、今は、問題はそもそもそういった南京事件そのものがあったかなかったのか、という部分になってしまっているではないですか。そういう意味でいくと、先ほど質問にもありましたが、市長自体は、そういった行為はあったのかなかったのか、というのはどのようにお考えなのですか。
(市長)
だから僕は、少なくとも、何べんも言いますけれど、30万人の、よく言われるのはそれでじゃないですか。日本でいわゆる南京事件と言われればこれですよ、ぱっと出てくるのは。
現に南京大虐殺記念館にはそのようにばーっと表示してありますから。これは私も見てきましたけれど。だから、そういうような30万人にも及ぶ、いわゆる中国の皆さんの、一般の市民の皆さんを日本軍が大虐殺したということがあるかないかという問題なんです。
あと、それからにつきましては、いろんな説があります。いろんな説があります。戦闘行為ですので、いいことではないけれど、残念なことも多くあっただろうと思います。
(記者)
今回の中国側の反応というのは、市長はどう感じられていますか。交流停止という。
(市長)
僕は残念ですね。
(記者)
先ほどの話し合い、率直な意見交換という話をしていきたいというところからですと、ちょっと過剰反応かなというような。
(市長)
使節団の方に迷惑を掛けてはいかんのでね。これはあれですけれど、大変友好的だったんですよ、話が。だから、相当僕も面食らいました。
だけど、今自分で文章を書きながら思ったのは、やっぱり「30万人大虐殺」という表現を使わなかったために。さらっとしているじゃないですか、「いわゆる南京事件」というのは。歴史上の用語ですけれどね、世界史なんかで学ぶ場合に。
それだったから、一切、それこそ何もなかったというふうに、南京でですね。そういうふうに下手して取られたのではないかな、という感じがしましたけれど、僕は僕なりに相当気を使って。友好使節団だしね。
現に日本人が30万人中国の人を虐殺したと、いわゆるその当事者の子孫が来ているわけでしょう。その方に「30万人大虐殺が」という言葉を、やっぱり僕としては使いたくないということがあって、柔らかく、気を使って、「いわゆる南京事件」。だけどそれだとちょっとさらっと行っちゃうから、「いわゆる」というのを付けたということです。
(記者)
10日ぐらい前に市議の方たちが行って、向こうは「話し合いはいいですよ」と言ったのを、市長は公的な南京市の見解だと思われていたと。
(市長)
公的というより、聞いていただくといいんですけれど、(市議の)藤沢さんと山本さんにね。
(記者)
市長が南京市と、市議の方が持ち帰ってきた話を公のものと捉えたのかどうかというところを、今。
(市長)
公といって、市のいわゆる公文書といいますか、市が何か議決して、市の確定的な意思とは思っておりません。
(記者)
思っていない。
(市長)
ただ、そういうところまでは行っていないけれど、市会の、議長さんをやられた方だったな。友好協会の名誉会長さんですから、それと市議会の議長をやられた方だと言ったね。
かつて、そういう方ですので、一つの南京の、一つの公的に近い意見だと思っていました。
(記者)
それを踏まえた表敬だということを確認していたのか、いなかったのかというところはどうでしょうか。そういった意見を、その友好協会の名誉会長だとか、かつての議長がそうやって言ったことを踏まえての表敬だと思われていたかどうか。
(市長)
そう思っていました。
(記者)
踏まえての。
(市長)
ええ。
(記者)
だから話しても大丈夫だろうと。
(市長)
まあそういうことですよね。
(記者)
そこ、確認はちゃんとしたのですか。
(市長)
確認というか、10日前ですし、そう思っていました。
(記者)
そこを確認しなかったことは問題だと思いませんか。
(市長)
どうですかね。しかし、私はそのことについて議論をぶっ掛けたというものではありませんしね。そのことを。
私は(父)親が世話になったので、その体験から言うと、「いわゆる南京、30万人も殺したようなことはなかったと思いますよ」ということを言ったら、その文脈はいかんのですかね。
主眼は、おやじが世話になった、感謝のラーメンを作ったり、作り方を教えてもらったり、野菜をもらったりと言ったら、ものすごいにこにこ笑い顔があったでね。そういうことがあるので、その文脈の中で。栖霞(せいか)古寺という南京の近郊のお寺ですけれど。
(記者)
市長にとっては文脈なのですが、表敬団にとっては、友好協会の会長だとかが「話し合いはいいですよ」と言ったことは踏まえて来ていないので、前提が違うスタートではないですか。
(市長)
それは総領事さんにも去年の夏にお話しておりまして、突然ではないですから。私の信書も、僕の書いた紙も南京市長宛てに出していますからね。行かれたときに。
ですから、当然と言っては申し訳ないですけれど、一種の何か話し合いが行われるのかなというコンセンサスはあっただろうけれど、話し合いじゃないですよ。私は「来てもらってありがとう」といって、「感謝しておりますよ」ということの中で、そう申し上げたと。おやじの体験談の中で、そう言うのはいかんのですかね。
(記者)
市長の今日のお話ですと、30万人もの非武装の中国市民を日本軍が大虐殺したことはないと思っていて、30万人未満の虐殺があったかどうかについては、いろいろな説があるということですね。
それで、市長ご自身は、その犠牲者数について、現時点で確たる見解はお持ちではないのですか。
(市長)
いろんな勉強をしてきまして。しっかりは分かりませんね。最低限のところは分からないです。いろんな立場があって。
共同研究の中では、2万人から20万人となっていますけれど、あれも別に、先ほども言いましたように統一見解というわけではない、個人的な見解と断っていますので。そういうことを率直に話ができる時代が1日でも早く来るようにと。中国と日本の間にね。
(記者)
先ほどの質疑では、そういう率直に話し合うというときになったら申し上げたいとおっしゃっていましたが。
(市長)
その中で申し上げるというか、何人というふうにきちっと話はできないと思いますよ、多分。いろんな何人という説がたくさんありますけれど。
(記者)
でも、市長が「南京に行ってそういう話をしてもいい」とおっしゃっている立場からすると、市長の意見を何か言わないと。
(市長)
それは、典型的に今、幕府山事件とか、いろんな戦闘状況のところがあるわけですよ。「そこについてはこういうふうに言われていますよ」と。「僕はこう思いますよ」と。「こういうことがあったけれどこうなのではないですか」と、こういうような話ですね。
(記者)
つまり、犠牲者数については、市長としてはこうだというのはない状況で、この議論に臨もうという。
(市長)
いや、僕は僕なりに分かっとるというか、勉強はしています。
一番よくあるのは、セーフティーゾーン、安全区の中で、12月の初めに20万人であったのが1カ月後に25万人と人口が増えていると。セーフティーゾーンの中でね。これは何なんだという話ですわね。だけど、南京城郊外でもいろんな戦闘がありますから、それだけが全てではないけれどね。
(記者)
犠牲者数の話ばかりで恐縮ですが、多くともどれぐらいとか。今、これまで勉強されてきた中で。
(市長)
あまりそれは言わない方がいいんじゃないですか。ちょっと今、これは市長のあれになっていますので。
(記者)
もう1つ、誤解されたということを強調されていますが、誤解した主体は誰のことを指しておっしゃっているのですか。
(市長)
僕もよく分からないけれど、使節団が足止めを食らっているという話はびっくりしたんですわ、初め。その内容はちょっと分かりませんけれど。本国へ帰れずにね。それは聞いてびっくりしまして。「何で抗議しない。何でそんな握手か何かしてにこやかにしとるんだ」というお話が中国の方であったと聞きましたので、おかしいなという感じなんですね。
ほんで、夜ずっとネットを見ておりまして、某テレビ局のニュースがばっと出ましたので、それによりますと、今書いてあるようなテロップだったですね。正確に一応書きましたけれど、「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」と。
全部の番組を見ませんので、1つ見たのが、当日出たのがこれですね。「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」とのテロップになったと。これが、確かにこれはなかったのですから、全くなしというふうに取れるのか、僕も確証はないですけれど。
(記者)
つまり、「非武装の市民の殺りく行為が1人もなかったのだ」という主張だと誤解された、というように。
(市長)
そう思った、そのテレビを見られた方ですけど、見られたとすると、それは誤解ですね。それは私は前から、いわゆる戦闘行為に伴う残念なことはあったのだと。それは日本軍の当時の大将も謝罪していますからね。
(記者)
今日市長がこの場で解こうと思っている誤解というのは、どういう誤解なのかということを、あらためてご説明願いたいのですが。
(市長)
今一番中核は、端的に言えば、「1人もそういう悲しいことがなかった」ということを私は言ったわけではないということです。
それはかねがねそう言っていますから、皆さんご承知だと思います。市議会の本会議でも答弁していますし、それはかねがね言っていることです。
そのテレビ番組のやり方が悪かったと言っとるわけではないんですよ。これも一つの報道の仕方なんですね。「南京大虐殺はなかったとする持論を展開」と。「南京大虐殺はなかったとする持論」というのは正しいかどうかちょっと分かりませんけれど。ちょっと微妙ですけれど。
(記者)
あの日、2月20日(月曜日)の表敬訪問のときに、市長はもともと当局が準備した文書か何かが手元にあったと思うのですが、「それもありますけれど」と切り出した上で、この話をされたと。
(市長)
この話より、それは主に、おやじが世話になって本当に。ぜひICレコーダーを出してほしいんですよ。「世話になって本当に感謝しています」という話をした方が喜んでくれるよといって、体験談だから。
ほんで、実に、桜の木1,000本を植えていますからね。僕も行きましたし、うちのおふくろも行きましたし、戦友も行きました、みんなで。そういう話をした方が絶対喜んでくれるからといって、ああいうものを読まずに話をして。
だけど、そこまで本当に優しくしてくれた南京の人たちが、8年前ですけれど、30万人もの、日本軍が自分たちを卑しめたというかあやめた人たちを、これほど優しくしてくれるか、ということを私は思っていますけれどと。だから、「いわゆる南京事件というのはなかったんじゃないかと思いますよ」と。そういう話です。
(記者)
あえて伺いますが、その「なかったんじゃないか」と市長がおっしゃるところまで含めて、その話をすることが喜んでもらえると思っていた?
(市長)
そこを、あの話のときに確定的に認識があったかどうかは分かりません。ざっと話をしとる中で。
よく話をしますから、私はそういうときに。
(記者)
あの使節団の場で南京事件の話に触れることは、非礼になるということは。
(市長)
思いませんでした。だから、それに気を使って、「30万人大虐殺」という言葉を使わなかったと。せめてものね。私は、そういう「大虐殺」という言葉を使わずに、親が大変世話になったので、お互いに喉の奥のトゲのようなものである、30万人中国の皆さんを大虐殺したようなことはなかったと思いますよと。だからフレンドリーにやりましょうや、という気持ちなんですけれどね。
(記者)
あと1つ、この間の政治塾の後の記者団に対するお話の中で、「市民の生活を守るのが市長の絶対的な責任である」ということをおっしゃっていましたが、あれはどういう意味でおっしゃっていたのですか。
(市長)
報道によりますとですけれど、私は直接まだ聞いておりませんけれど、観光客を名古屋に行かんようにするとか、その他のイベントを中止するとか、ああいう話は漏れ伝わってくるじゃないですか。
となると私も、市長というのは、いろんな理念もありますけれど、やっぱり市民の皆さんの生活を守るというのは、これは絶対的な責任ですからね。そういうことはやめていただきたいと。
冒頭、かかってきた電話にも「民間交流は妨げるものではない」ということは言っていただいとると、私は信じていますけれど。
(記者)
市長自身、この混乱した事態について責任は感じておられるのですか。
(市長)
責任というか。あまり適切なご質問ではないですけれど、残念だということで、早く誤解を解いて。
状況なんかを考えて、めちゃくちゃしょっちゅう討論をするものじゃありませんけれど、1日も早く、「何かこのことを言ったら、すぐこんなふうになっちゃう」という時代を打ち破っていって、本当の日中友好というか、南京と名古屋の交流が早く実のなるものにね。上海の20分の1では本当にいかんじゃないですか、ならんかしらんと思っとるということです。
(記者)
認識のずれがきっとあると思うのですが、例えば、誰かしらに対して謝罪とか陳謝するようなことというのは。
(市長)
今日は私、自分の気持ちを精いっぱい、本当に僕が書いた文章ですから。こういうことです。
河村たかし名古屋市長記者会見(2012-2-27)の内容(2)/名古屋市ホームページよりに続く
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