大戦中に復員軍人援護局のロボトミー採用を決定付けた1人の医師
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303907304579289682893588694.html
第2次世界大戦のさなか、復員軍人援護局(VA)の2人のベテラン医師はある処置の驚くべき結果を報告した。著名な神経学者であるウォルター・J・フリーマン博士と神経外科医のジェームズ・ワッツ氏だ。2人は精神病の患者の頭蓋骨を切り開き、脳の神経線維を切断する処置を行ったのだ。フリーマン博士は、これをロボトミーと呼んだ。
治療が難しい精神病を患った退役軍人に対するロボトミーの推奨が、メモという形でVAのフランク・ハインズ局長の元に届けられたのは、1943年7月26日のことだった。このメモには、その手術は「場合によっては局部麻酔で行える」、そして「その処置に高度な外科技術は必要ない」とあった。
翌日、ハインズ局長はそのメモに紫のインクで「承認」のスタンプを押した。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が発見した大量のVAの書類(ハインズ局長の承認印が押されたメモを含む)によると、米国政府はその後の10年余りで約2000人の退役軍人にロボトミーを施したようだ。ハインズ局長のメモには「治療の進歩に遅れたくないという我々の意思に沿った」決断だったと書かれている。
1943年のその決断は、VAとロボトミーの最も熱心なセールスマンであり、当時はもてはやされたが、今となっては悪名高いフリーマン博士との協調関係を生み出した。精神病を治療するために脳外科手術を――批評家たちによると見境なく――多用したことで、博士は米国の医学史で最も物議を醸した医師と言えよう。
フリーマン博士はVAにおいて倫理的に容認される医療の領域を押し広げようとした。博士は手術の訓練を受けていない精神科医たちにもアイスピックのような器具と小槌で眼窩に穴を開ける方法のロボトミーの実施が許可されるべきだと述べた。さらには、せっかく患者たちの頭蓋骨が切り開かれているだから、VAの外科医たちには研究目的での生体脳のサンプル採取を許可すべきだとも主張した。
資料にはVAが博士の説得にどれほど大きな影響を受けたのかが示されている。WSJは今回初めて、国立公文書館の記録、ジョージ・ワシントン大学に保管されていたフリーマン博士の論文、軍の文書や医療記録、当時の医師たち、ロボトミーを受けた退役軍人たちの家族、そして生存者の1人である90歳のローマン・トリッツさんらへのインタビュー取材などに基づいて、VAの精神外科プログラムの詳細を記事にした。
1950年代半ばに最初の重要な精神病治療薬であるソラジンが市場に出回ると、VAのロボトミーの利用は漸減していった。フリーマン博士とその代名詞とも言うべき手術に対する世論は、称賛から嫌悪へと一転した。
第2次世界大戦中とその直後、ロボトミーに対する拒否反応は今日ほど強くなかった。それでも、フリーマン博士の考え方はVA内でも激しい議論を引き起こした。博士自身が「手術によって誘発される小児期」と説明する処置が適切であるかと倫理が問題になった。
VAのある上席精神科医は1948年に、フリーマン博士が「非行から首の痛みまでほとんどすべての治療にロボトミーを用いていると揶揄(やゆ)するメモを書いている。他の医師たちはこうした思い切った医学的処置を押し進める前に研究を深めることを強く求めた。特にフリーマン博士のアイスピック手術に異議を唱える医師たちは多かった。
それでもフリーマン博士の影響には決定的なものがあった。VAはフリーマン博士の弟子であり、神経外科医のジェームズ・ワッツ氏をコンサルタント、旗振り役として迎え入れ、VAの医師たちは、東はマサチューセッツ州から西はオレゴン州までの50もの病院で退役軍人たちにロボトミーを施した。
精神病を切除するという考え方が生まれた経緯
・・・以下で全文をお読みください
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第2次世界大戦のさなか、復員軍人援護局(VA)の2人のベテラン医師はある処置の驚くべき結果を報告した。著名な神経学者であるウォルター・J・フリーマン博士と神経外科医のジェームズ・ワッツ氏だ。2人は精神病の患者の頭蓋骨を切り開き、脳の神経線維を切断する処置を行ったのだ。フリーマン博士は、これをロボトミーと呼んだ。
治療が難しい精神病を患った退役軍人に対するロボトミーの推奨が、メモという形でVAのフランク・ハインズ局長の元に届けられたのは、1943年7月26日のことだった。このメモには、その手術は「場合によっては局部麻酔で行える」、そして「その処置に高度な外科技術は必要ない」とあった。
翌日、ハインズ局長はそのメモに紫のインクで「承認」のスタンプを押した。
ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が発見した大量のVAの書類(ハインズ局長の承認印が押されたメモを含む)によると、米国政府はその後の10年余りで約2000人の退役軍人にロボトミーを施したようだ。ハインズ局長のメモには「治療の進歩に遅れたくないという我々の意思に沿った」決断だったと書かれている。
1943年のその決断は、VAとロボトミーの最も熱心なセールスマンであり、当時はもてはやされたが、今となっては悪名高いフリーマン博士との協調関係を生み出した。精神病を治療するために脳外科手術を――批評家たちによると見境なく――多用したことで、博士は米国の医学史で最も物議を醸した医師と言えよう。
フリーマン博士はVAにおいて倫理的に容認される医療の領域を押し広げようとした。博士は手術の訓練を受けていない精神科医たちにもアイスピックのような器具と小槌で眼窩に穴を開ける方法のロボトミーの実施が許可されるべきだと述べた。さらには、せっかく患者たちの頭蓋骨が切り開かれているだから、VAの外科医たちには研究目的での生体脳のサンプル採取を許可すべきだとも主張した。
資料にはVAが博士の説得にどれほど大きな影響を受けたのかが示されている。WSJは今回初めて、国立公文書館の記録、ジョージ・ワシントン大学に保管されていたフリーマン博士の論文、軍の文書や医療記録、当時の医師たち、ロボトミーを受けた退役軍人たちの家族、そして生存者の1人である90歳のローマン・トリッツさんらへのインタビュー取材などに基づいて、VAの精神外科プログラムの詳細を記事にした。
1950年代半ばに最初の重要な精神病治療薬であるソラジンが市場に出回ると、VAのロボトミーの利用は漸減していった。フリーマン博士とその代名詞とも言うべき手術に対する世論は、称賛から嫌悪へと一転した。
第2次世界大戦中とその直後、ロボトミーに対する拒否反応は今日ほど強くなかった。それでも、フリーマン博士の考え方はVA内でも激しい議論を引き起こした。博士自身が「手術によって誘発される小児期」と説明する処置が適切であるかと倫理が問題になった。
VAのある上席精神科医は1948年に、フリーマン博士が「非行から首の痛みまでほとんどすべての治療にロボトミーを用いていると揶揄(やゆ)するメモを書いている。他の医師たちはこうした思い切った医学的処置を押し進める前に研究を深めることを強く求めた。特にフリーマン博士のアイスピック手術に異議を唱える医師たちは多かった。
それでもフリーマン博士の影響には決定的なものがあった。VAはフリーマン博士の弟子であり、神経外科医のジェームズ・ワッツ氏をコンサルタント、旗振り役として迎え入れ、VAの医師たちは、東はマサチューセッツ州から西はオレゴン州までの50もの病院で退役軍人たちにロボトミーを施した。
精神病を切除するという考え方が生まれた経緯
・・・以下で全文をお読みください
http://jp.wsj.com/article/SB10001424052702303907304579289682893588694.html
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