参加するMLで、上杉隆にシンパシーを抱く(未だに!!)方がいて、それを批判するために2012年08月20日付け【ダイヤモンドオンライン「週刊上杉隆」】が紹介されていたので、読んでみた。
どうでもいいと言えば、その通りなのだが、オリンピック招致決定と言う「おめでたい(!)」月なので、抜粋を転載しますが、こんな男を支持する「平和運動家」が存在すると言うことを思うだけで泣けてくる九月です。
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靖国神社で迎えた67回目の終戦記念日/上杉 隆
2012年08月20日
http://no-border.asia/archives/3262
終戦記念日、今年も靖国神社には多くの参拝客が訪れた。
67回目の夏、筆者にとっても1999年以来、13回目となる靖国参拝であった
・・・
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー55人が今年も参拝を行なった。
その中には、羽田雄一郎国土交通大臣も含まれ、民主党政権になって初の現職閣僚の靖国参拝がようやく実現した
・・・
さて、筆者自身も例年と同じく、参拝後に、第二鳥居脇、大手水舎横で恒例となっている「チャンネル桜」のインタビューに答えた。
「内閣総理大臣、さらには遺族会の声に出さない悲願である天皇陛下の参拝ができないのは政治の怠慢に他ならない。
麻生元首相が『日本を考える夏』と宣言してから何年経ったのか。
そもそも、小泉政権時代の2005年、野田首相自身が政府への質問主意書の中で、『靖国問題で戦争犯罪人はいない』と宣言し、参拝を迫ったではないか」
・・・・
《「平和の祭典」が行われている8月15日、筆者は、例年のように靖国神社へ取材に出掛けた。
99年から通い続け、今年で10年目となる。
・・・
246万余柱の英霊たちの中には、オリンピックのメダリストも眠っている。
1932年のロサンゼルスオリンピック、男子100メートル自由形で銀メダルを獲得したのは河石達吾選手だ。
当時大学生だったこの競泳選手は、陸軍大尉として赴いたあの硫黄島で、壮絶な戦いののち玉砕した。
結婚直後、まだ現役の水泳選手でもあった。
硫黄島といえば、もうひとり偉大なオリンピックメダリストがその若き命を散らしている。
同じくロサンゼルスオリンピックの馬術競技に出場して金メダルを獲得した西竹一第26戦車連隊長である。
映画「硫黄島からの手紙」でも触れられていたように、西氏は、その優雅な姿勢によって、欧米諸国からも「バロン(男爵)西」と呼ばれ尊敬を集めていた。
硫黄島で散った二人のメダリストは、靖国の杜に祀られている。
彼らは右翼でもなければ左翼でもない。
もちろんA級戦犯の合祀も知らない。
ただ、国家のため、家族のために、本来はオリンピックで闘うべき肉体を、絶望的な戦場の壮絶な戦いの下、自らの国土に捧げたのだ。
靖国神社で会おうと誓って……。
この夏、北京で揚がった日の丸に群がるマスコミの多くは、靖国神社の日の丸には見向きもしなかった。
主要5紙の新聞で、その一面で終戦記念日に触れたのはただの一紙もない。
いま、日本の選手たちが「平和の祭典」に参加できるのは、60年以上前の同じオリンピック選手らの犠牲があることを忘れてはいないだろうか。
戦時中の1940年と1944年、オリンピックは開催できなかった。
ひとたび戦争が起これば、国際社会はオリンピックなど吹き飛ばしてしまう。
そうなると、現在のような「メダル狂騒」など夢のまた夢なのだ。
80年代、近代オリンピックは「アマチュアの祭典」であることを放棄し、「平和の祭典」と看板を架け替えた。
だが、今回の北京オリンピックに「平和」というその言葉は当てはまらないようだ。
・・・・
靖国神社に眠る英霊たちを拝みながら、筆者は、60年以上前に散ったメダリストたちに想いを馳せたのだった。
・・・・
結局、政治のみならず、マスコミも相変わらずなのだ。
日本の社会、現在のエリート層は進歩を止めている。
これでは靖国の英霊たちも浮かばれない。
よろしければ、下のマークをクリックして!
![]()
よろしければ、もう一回!
どうでもいいと言えば、その通りなのだが、オリンピック招致決定と言う「おめでたい(!)」月なので、抜粋を転載しますが、こんな男を支持する「平和運動家」が存在すると言うことを思うだけで泣けてくる九月です。
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靖国神社で迎えた67回目の終戦記念日/上杉 隆
2012年08月20日
http://no-border.asia/archives/3262
終戦記念日、今年も靖国神社には多くの参拝客が訪れた。
67回目の夏、筆者にとっても1999年以来、13回目となる靖国参拝であった
・・・
「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のメンバー55人が今年も参拝を行なった。
その中には、羽田雄一郎国土交通大臣も含まれ、民主党政権になって初の現職閣僚の靖国参拝がようやく実現した
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さて、筆者自身も例年と同じく、参拝後に、第二鳥居脇、大手水舎横で恒例となっている「チャンネル桜」のインタビューに答えた。
「内閣総理大臣、さらには遺族会の声に出さない悲願である天皇陛下の参拝ができないのは政治の怠慢に他ならない。
麻生元首相が『日本を考える夏』と宣言してから何年経ったのか。
そもそも、小泉政権時代の2005年、野田首相自身が政府への質問主意書の中で、『靖国問題で戦争犯罪人はいない』と宣言し、参拝を迫ったではないか」
・・・・
《「平和の祭典」が行われている8月15日、筆者は、例年のように靖国神社へ取材に出掛けた。
99年から通い続け、今年で10年目となる。
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246万余柱の英霊たちの中には、オリンピックのメダリストも眠っている。
1932年のロサンゼルスオリンピック、男子100メートル自由形で銀メダルを獲得したのは河石達吾選手だ。
当時大学生だったこの競泳選手は、陸軍大尉として赴いたあの硫黄島で、壮絶な戦いののち玉砕した。
結婚直後、まだ現役の水泳選手でもあった。
硫黄島といえば、もうひとり偉大なオリンピックメダリストがその若き命を散らしている。
同じくロサンゼルスオリンピックの馬術競技に出場して金メダルを獲得した西竹一第26戦車連隊長である。
映画「硫黄島からの手紙」でも触れられていたように、西氏は、その優雅な姿勢によって、欧米諸国からも「バロン(男爵)西」と呼ばれ尊敬を集めていた。
硫黄島で散った二人のメダリストは、靖国の杜に祀られている。
彼らは右翼でもなければ左翼でもない。
もちろんA級戦犯の合祀も知らない。
ただ、国家のため、家族のために、本来はオリンピックで闘うべき肉体を、絶望的な戦場の壮絶な戦いの下、自らの国土に捧げたのだ。
靖国神社で会おうと誓って……。
この夏、北京で揚がった日の丸に群がるマスコミの多くは、靖国神社の日の丸には見向きもしなかった。
主要5紙の新聞で、その一面で終戦記念日に触れたのはただの一紙もない。
いま、日本の選手たちが「平和の祭典」に参加できるのは、60年以上前の同じオリンピック選手らの犠牲があることを忘れてはいないだろうか。
戦時中の1940年と1944年、オリンピックは開催できなかった。
ひとたび戦争が起これば、国際社会はオリンピックなど吹き飛ばしてしまう。
そうなると、現在のような「メダル狂騒」など夢のまた夢なのだ。
80年代、近代オリンピックは「アマチュアの祭典」であることを放棄し、「平和の祭典」と看板を架け替えた。
だが、今回の北京オリンピックに「平和」というその言葉は当てはまらないようだ。
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靖国神社に眠る英霊たちを拝みながら、筆者は、60年以上前に散ったメダリストたちに想いを馳せたのだった。
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結局、政治のみならず、マスコミも相変わらずなのだ。
日本の社会、現在のエリート層は進歩を止めている。
これでは靖国の英霊たちも浮かばれない。
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