http://www.oklos-che.com/2013/05/zaitok-kai-is-coming-to-town.html
在特会が川崎にやってきました。
12時半の丸井ビル前では在特会は50名もいなかったでしょう。それに「帰れ!」コールをする人たちが20−30名くらい。警察は在特会を守るように完全に囲んでしまい、彼らに「帰れ」コールをする集団と遮断してしまいました。そして最後にはその集団を取り囲み身動きさえできないようにしてしまいました。
その周りには100名くらいの人が何事か見守っている人たちでいっぱいです。在特会はとにかく、日本の国は日本人のもので、外国人はおとなしくしていれば何も言わないのに、特権を求め騒ぎ出すので、日本と日本人を守る為に自分たちは立ち上がった、あとは通名(パスポートでも通名を使っているなどと、見てきたような嘘を連ねていました)や、地方公務員のことなど、まさに特権をとることで日本人を窮地に落とし込んでいるという言い方です。
いっぽうは、まさに警察がいなければ乱闘になるかのように勢いよく、在特会につかみかかっていました。それを見て在特会は、彼らは暴力集団だと言い、苦笑をしてしまいました(笑)。
在特会はおよそ1時間くらいで警察に完全に両道を作ってもらいその間を通る形で駅の方に、次の集合地に行ったようです。私たちも少ししてその集合場所に向かったのですが、完全に警察に封鎖され、彼らの集合地での集会には行けません。しかしただ通るだけと言いつくろってその公園に行ってみると、70−80名くらいのメンバーが(いわゆる右翼的なかっこうをした人はいない)いました。
そばを通り過ぎ、近くの彼らがデモる交差点で待っていると、彼らからぼろくそに言われていた有田議員が彼らの方に向かって歩いていきました。そうして待つこと30分、在特会の隊列が来たのですが、なんとその時は200名くらいに増えていました。そしてデモ行進です。「帰れ!」コールの一群は旗を持ち、激しくののしり、その間を警察が分けます。「帰れ!」コールの一群につかみかかる在特会のメンバーも現れました。
そして市役所を過ぎ、川崎駅前を通り、商店街を通り過ぎて元来た道に戻ったのですが、その間街は騒然としていました。通り過ぎる人は何事かと思ったでしょう。
私の見た限り、在特会の勢いと発言を歓迎するような人は見受けられませんでした。何も知らないおじさん、おばさんは、外国人を殺せと言う集団のデモが来ると聞き、それはひどい、自分は中国人は日本を奪うかもしれないから危険だと思うけど、殺せというのはどうういうことかと言ってました。
以下、友人が送ってくれたスナップ写真と私の携帯電話で撮った写真を添付します。ごらんください。その後で、私の感想をお読みください。
*写真多数
さて、私は12時半から5時までの間、在特会の後を追い、彼らが何を言うのか、どういう表情をしているのか、それに対して「帰れ!」コールの一群の人たちはどうなのか、一部始終を見ました。「帰れ!」コールのひとはレイシスト集団を容赦なく批判しますが、まだ言っていることに首をかしげるようなことはありません。ただ、在特会は天皇も朝鮮人だから殺せと言っていると言ってましたが、そのような発言は在特会からはありませんでした。
ここは在日が多く住んでいるということをお前たち知っているのかと在特会に食いつく人もいました。しかし私は彼らの表情を見ていて、私はついていけないと思いました。
レイシスト、その通り、在特会にはそれ以外の言葉は見つかりません。AP通信の記者から私が在日であることを聞かされ自分は胸を針で突っつかれる思いだが、当事者のあなたはどうですかと尋ねられました。私はこの怒りを表現する言葉を見つけることはできず、ニューヨークでこんな黒人やユダヤ人に差別言辞をまき散らすデモが街の真ん中でできるのですか、それをアメリカ人は黙って許しますか、とだけ言いました。
排外主義、その通りです。しかし私は、「帰れ!」コールの人たちが排外主義とはなんで、在日が置かれている状況を少しでも聞いたことがあるのか、そしてそれはどんな問題なのか、自分とどういう関係があるのか自問したことがあるのか、深く考えたことがあるようには思えなかったのです。私はただただ黙って、殺し合わんばかりの喧噪のなかを歩いて行きました。
参考文献;在日」の生き方と地域問題への関わり方ー病んでいるのは日本人社会
http://www.oklos-che.com/2012/04/blog-post_08.html
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在特会が川崎にやってきました。
12時半の丸井ビル前では在特会は50名もいなかったでしょう。それに「帰れ!」コールをする人たちが20−30名くらい。警察は在特会を守るように完全に囲んでしまい、彼らに「帰れ」コールをする集団と遮断してしまいました。そして最後にはその集団を取り囲み身動きさえできないようにしてしまいました。
その周りには100名くらいの人が何事か見守っている人たちでいっぱいです。在特会はとにかく、日本の国は日本人のもので、外国人はおとなしくしていれば何も言わないのに、特権を求め騒ぎ出すので、日本と日本人を守る為に自分たちは立ち上がった、あとは通名(パスポートでも通名を使っているなどと、見てきたような嘘を連ねていました)や、地方公務員のことなど、まさに特権をとることで日本人を窮地に落とし込んでいるという言い方です。
いっぽうは、まさに警察がいなければ乱闘になるかのように勢いよく、在特会につかみかかっていました。それを見て在特会は、彼らは暴力集団だと言い、苦笑をしてしまいました(笑)。
在特会はおよそ1時間くらいで警察に完全に両道を作ってもらいその間を通る形で駅の方に、次の集合地に行ったようです。私たちも少ししてその集合場所に向かったのですが、完全に警察に封鎖され、彼らの集合地での集会には行けません。しかしただ通るだけと言いつくろってその公園に行ってみると、70−80名くらいのメンバーが(いわゆる右翼的なかっこうをした人はいない)いました。
そばを通り過ぎ、近くの彼らがデモる交差点で待っていると、彼らからぼろくそに言われていた有田議員が彼らの方に向かって歩いていきました。そうして待つこと30分、在特会の隊列が来たのですが、なんとその時は200名くらいに増えていました。そしてデモ行進です。「帰れ!」コールの一群は旗を持ち、激しくののしり、その間を警察が分けます。「帰れ!」コールの一群につかみかかる在特会のメンバーも現れました。
そして市役所を過ぎ、川崎駅前を通り、商店街を通り過ぎて元来た道に戻ったのですが、その間街は騒然としていました。通り過ぎる人は何事かと思ったでしょう。
私の見た限り、在特会の勢いと発言を歓迎するような人は見受けられませんでした。何も知らないおじさん、おばさんは、外国人を殺せと言う集団のデモが来ると聞き、それはひどい、自分は中国人は日本を奪うかもしれないから危険だと思うけど、殺せというのはどうういうことかと言ってました。
以下、友人が送ってくれたスナップ写真と私の携帯電話で撮った写真を添付します。ごらんください。その後で、私の感想をお読みください。
*写真多数
さて、私は12時半から5時までの間、在特会の後を追い、彼らが何を言うのか、どういう表情をしているのか、それに対して「帰れ!」コールの一群の人たちはどうなのか、一部始終を見ました。「帰れ!」コールのひとはレイシスト集団を容赦なく批判しますが、まだ言っていることに首をかしげるようなことはありません。ただ、在特会は天皇も朝鮮人だから殺せと言っていると言ってましたが、そのような発言は在特会からはありませんでした。
ここは在日が多く住んでいるということをお前たち知っているのかと在特会に食いつく人もいました。しかし私は彼らの表情を見ていて、私はついていけないと思いました。
レイシスト、その通り、在特会にはそれ以外の言葉は見つかりません。AP通信の記者から私が在日であることを聞かされ自分は胸を針で突っつかれる思いだが、当事者のあなたはどうですかと尋ねられました。私はこの怒りを表現する言葉を見つけることはできず、ニューヨークでこんな黒人やユダヤ人に差別言辞をまき散らすデモが街の真ん中でできるのですか、それをアメリカ人は黙って許しますか、とだけ言いました。
排外主義、その通りです。しかし私は、「帰れ!」コールの人たちが排外主義とはなんで、在日が置かれている状況を少しでも聞いたことがあるのか、そしてそれはどんな問題なのか、自分とどういう関係があるのか自問したことがあるのか、深く考えたことがあるようには思えなかったのです。私はただただ黙って、殺し合わんばかりの喧噪のなかを歩いて行きました。
参考文献;在日」の生き方と地域問題への関わり方ー病んでいるのは日本人社会
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