パレスチナ連帯・札幌 松元保昭さんから
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パレスチナの「国家」格上げ決議が国連総会で採択されました。
採決のきのうは、恒常的な「イスラエル/パレスチナ問題」の発端となった1947年 11月 29日
の国連分割決議から65年目となる日です。
「国家」格上げになったとはいえ、イスラエルに45年間も占領されているパレスチナの実態はいさ さかも変わりません。
先日も論考をお送りしたヤコブ・ラブキン氏が、65年目となる「1947年11月29日」に焦点を当てて最新の短い論考を発表しています。
拙訳で すが、紹介させていただきます。
(なお、読み易い氏の本として『イスラエルとは何か』(菅野賢治訳、平凡社新書)があります。)
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■国連は11月29日を祝うことなどできない
ヤコブ・ラブキン著
The U.N. Has Little to Celebrate on November 29
Yakov M. Rabkin
私がエルサレムにいたとき、週一回のトーラー講習へ行く道すがら、よく「11月29日」あるいは「Kaf-tet be 11月」という名の曲がりくねった道を歩いたものだ。
その名前は65年前の国連で起きた出来事を記念している。
今日大部分のイスラエル人は国連をほとんど 拒否しているので、驚かれるかもしれない。
現在の首相は、国連を彼の国にとって「不条理劇場」であり「闇のはびこる場」だと述べている。
イスラエ ルは、パ レスチナ難民の帰還および1967年の占領地からの撤退を要求する何十もの国連決議を無視してきた。
1947年11月29日、実際に何が起こったのか?
その日国連総会では、パレスチナがアラブ人とユダヤ人の二つの国家に分割され、エルサレムが国際管理におかれると決定された。
稀に見る米国とソ連の一致の もとで可決された。
例えばアイスランド、コスタリカ、およびニュージーランドがそうであったように。
しかしパレスチナと国境を接する諸国すべて は、慢性的 暴力を確実に引き起こす原因になり、地域住民の大多数およびその地方全体の意思に反するということでその決議に反対票を投じた。
先のガザの殺戮 は、決して 終わることのない悲劇の最新のエピソードである。
しかしその当時大部分のシオニストたちは、国連の採決を彼らの運動に対する決定的な勝利と見なした。彼らは当時パレスチナに存在していた社会に組 み込まれ るよりも、切り離した開発政策を長らく追い求めていた。
ユダヤ人シオニスト、非シオニスト、および反シオニストが含まれる彼らは当時の人口のほぼ 三分の一 を占め土地の7パーセントを所有していたが、国連は将来のシオニスト国家に55パーセントの土地を割り当てた。
1947年以来、シオニストたち は、「最小 限のアラブ人に最大限の土地」を占領しようとしていた。
1947年から49年にかけて、何十万人ものアラブ人が脅迫にさらされ追い立てられ彼らの 家を後にした。
それ以来イスラエル軍は、1947年時のパレスチナ全域すなわちヨルダン川と地中海の間の領域を統制下に置いた。
しかしながらユダヤ人たち はいま、 圧倒的多数のアラブ人が隔離されているその地域の只中で自分たちが少数者である
ことを自覚している。
1917年11月に、英国政府がパレスチナの土地にユダヤ人のホームランドを作るという着想を承認した時、もっとも著名な英国ユダヤ人政治家のひ とりであ るエドウィン・モンタギューは、異なる国々にいるユダヤ教の信奉者たちが別個の民
族に所属するというその発想を嘲って強固に反対した。
事実、西洋 諸国にい るユダヤ人は、イスラエルに対する愛着を公言しているにもかかわらず、イスラエルに移住している数はそれほど多くはなかった。
米国やカナダに住む ユダヤ人のほうが、イスラエルに住むユダヤ系アメリカ人およびカナダ人よりも多いというのが事実である。
ユダヤ人に安全な避難所を提供するというより、イスラエルはユダヤ人にとって危険な土地となってしまった。
多数の異なる人々がこうした結果につい て警告していた。
ニューヨークのドイツ系難民でありシオニスト知識人のハンナ・アーレントは当時つぎのように書いていた。
『たとえユダヤ人が戦争に勝利したとしても、…「勝ち誇った」ユダヤ人たちは、ひたすら敵意を抱くアラブ住民に包囲され、絶えず脅かされる国境の 内側に閉 じ込められ、物理的な自己防衛に没頭して生きることになるだろう。
…そして―どれほど多くの移民を常時受け入れようとその国境線をどれほど遠くに 広げよう と―敵意を抱く隣人たちが数では圧倒し依然ごくわずかな国民にとどまることになるだろう。これらすべてが一国民の運命を決めるだろう。』
彼女の言葉は、人間の命を少しも尊重しないシオニストを告発してきた反シオニストのラビ、アムラム・ブラウよって繰り返された。
「…彼らはアラブ 人が居住していた聖地の多くの部分の規制を拡張しても、責任を負わないことをはっきり示した。その結果、全アラブ世界をユダヤ人コミュニティとの紛争に巻 き込むこ とになったのである。」
イスラエル問題ほど、はっきりとユダヤ人たちを分け隔てるものはない。
ユダヤ教徒とは違う、世界中の全ユダヤ人よりも何倍 も数の多 いキリスト教シオニストたちが団結し、アメリカ合衆国の最大のイスラエル支持勢力を誇っている。
さきの戦争によって、軍事的に優勢なイスラエルは政治的な免責を当てにして国連決議を無視することはできるが、一方で、長い間苦難を被っているこ の地域に 平和をもたらすことは不可能だということが証明された。
1947年にこの可能性のすべてを決定した国連は、祝うことなどできない。(完)
(松元保昭訳)
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Palestine Solidarity in Sapporo
パレスチナ連帯・札幌 代表 松元保昭
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パレスチナの「国家」格上げ決議が国連総会で採択されました。
採決のきのうは、恒常的な「イスラエル/パレスチナ問題」の発端となった1947年 11月 29日
の国連分割決議から65年目となる日です。
「国家」格上げになったとはいえ、イスラエルに45年間も占領されているパレスチナの実態はいさ さかも変わりません。
先日も論考をお送りしたヤコブ・ラブキン氏が、65年目となる「1947年11月29日」に焦点を当てて最新の短い論考を発表しています。
拙訳で すが、紹介させていただきます。
(なお、読み易い氏の本として『イスラエルとは何か』(菅野賢治訳、平凡社新書)があります。)
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■国連は11月29日を祝うことなどできない
ヤコブ・ラブキン著
The U.N. Has Little to Celebrate on November 29
Yakov M. Rabkin
私がエルサレムにいたとき、週一回のトーラー講習へ行く道すがら、よく「11月29日」あるいは「Kaf-tet be 11月」という名の曲がりくねった道を歩いたものだ。
その名前は65年前の国連で起きた出来事を記念している。
今日大部分のイスラエル人は国連をほとんど 拒否しているので、驚かれるかもしれない。
現在の首相は、国連を彼の国にとって「不条理劇場」であり「闇のはびこる場」だと述べている。
イスラエ ルは、パ レスチナ難民の帰還および1967年の占領地からの撤退を要求する何十もの国連決議を無視してきた。
1947年11月29日、実際に何が起こったのか?
その日国連総会では、パレスチナがアラブ人とユダヤ人の二つの国家に分割され、エルサレムが国際管理におかれると決定された。
稀に見る米国とソ連の一致の もとで可決された。
例えばアイスランド、コスタリカ、およびニュージーランドがそうであったように。
しかしパレスチナと国境を接する諸国すべて は、慢性的 暴力を確実に引き起こす原因になり、地域住民の大多数およびその地方全体の意思に反するということでその決議に反対票を投じた。
先のガザの殺戮 は、決して 終わることのない悲劇の最新のエピソードである。
しかしその当時大部分のシオニストたちは、国連の採決を彼らの運動に対する決定的な勝利と見なした。彼らは当時パレスチナに存在していた社会に組 み込まれ るよりも、切り離した開発政策を長らく追い求めていた。
ユダヤ人シオニスト、非シオニスト、および反シオニストが含まれる彼らは当時の人口のほぼ 三分の一 を占め土地の7パーセントを所有していたが、国連は将来のシオニスト国家に55パーセントの土地を割り当てた。
1947年以来、シオニストたち は、「最小 限のアラブ人に最大限の土地」を占領しようとしていた。
1947年から49年にかけて、何十万人ものアラブ人が脅迫にさらされ追い立てられ彼らの 家を後にした。
それ以来イスラエル軍は、1947年時のパレスチナ全域すなわちヨルダン川と地中海の間の領域を統制下に置いた。
しかしながらユダヤ人たち はいま、 圧倒的多数のアラブ人が隔離されているその地域の只中で自分たちが少数者である
ことを自覚している。
1917年11月に、英国政府がパレスチナの土地にユダヤ人のホームランドを作るという着想を承認した時、もっとも著名な英国ユダヤ人政治家のひ とりであ るエドウィン・モンタギューは、異なる国々にいるユダヤ教の信奉者たちが別個の民
族に所属するというその発想を嘲って強固に反対した。
事実、西洋 諸国にい るユダヤ人は、イスラエルに対する愛着を公言しているにもかかわらず、イスラエルに移住している数はそれほど多くはなかった。
米国やカナダに住む ユダヤ人のほうが、イスラエルに住むユダヤ系アメリカ人およびカナダ人よりも多いというのが事実である。
ユダヤ人に安全な避難所を提供するというより、イスラエルはユダヤ人にとって危険な土地となってしまった。
多数の異なる人々がこうした結果につい て警告していた。
ニューヨークのドイツ系難民でありシオニスト知識人のハンナ・アーレントは当時つぎのように書いていた。
『たとえユダヤ人が戦争に勝利したとしても、…「勝ち誇った」ユダヤ人たちは、ひたすら敵意を抱くアラブ住民に包囲され、絶えず脅かされる国境の 内側に閉 じ込められ、物理的な自己防衛に没頭して生きることになるだろう。
…そして―どれほど多くの移民を常時受け入れようとその国境線をどれほど遠くに 広げよう と―敵意を抱く隣人たちが数では圧倒し依然ごくわずかな国民にとどまることになるだろう。これらすべてが一国民の運命を決めるだろう。』
彼女の言葉は、人間の命を少しも尊重しないシオニストを告発してきた反シオニストのラビ、アムラム・ブラウよって繰り返された。
「…彼らはアラブ 人が居住していた聖地の多くの部分の規制を拡張しても、責任を負わないことをはっきり示した。その結果、全アラブ世界をユダヤ人コミュニティとの紛争に巻 き込むこ とになったのである。」
イスラエル問題ほど、はっきりとユダヤ人たちを分け隔てるものはない。
ユダヤ教徒とは違う、世界中の全ユダヤ人よりも何倍 も数の多 いキリスト教シオニストたちが団結し、アメリカ合衆国の最大のイスラエル支持勢力を誇っている。
さきの戦争によって、軍事的に優勢なイスラエルは政治的な免責を当てにして国連決議を無視することはできるが、一方で、長い間苦難を被っているこ の地域に 平和をもたらすことは不可能だということが証明された。
1947年にこの可能性のすべてを決定した国連は、祝うことなどできない。(完)
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